東北で多くの尊い命が奪われ、日本中が悲しみに沈んだ日から2年が過ぎました。
復興が一向に進まない現状があまりにも長く続き、明るい未来が見えず、希望が見えず、
生きる気力を失いかけている方たちが増えています。
先が見えない、未来が見えない現実がずっと続けば、心がこわれてしまいます。
同じ日本に生きている私たちは、東北で頑張り続ける方々に、
震災が起きたときよりもっと深くもっと温かく想いを向けていかなければと改めて思いました。
私は昨日、NHKで「ヒロシマ 復興を夢みた男たち 」という番組を見ました。
原爆投下で廃墟と化したヒロシマの復興に命を懸けて挑み続け、
どんな困難にも屈しなかった浜井信三元広島市長とそれを支えた男性達の物語でした。
それは私が今、とても知りたいと思っていた内容でした。
これまでに何度かお伝えしていますが、私の母はナガサキで被爆し、その後ヒロシマに移り住みました。
私はヒロシマ生まれヒロシマ育ちのナガサキの被爆二世です。

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【ドーム闇からの叫び】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11465696192.html
私は、原爆投下で絶望のどん底に突き落とされたヒロシマ、ナガサキの人々がなぜ立ち直れたのか、
なぜあれほどまでに復興できたのか、どういう想いで生きようとされたのか、
どういう想いで人々が街を再生しようとしたのか、それがどうしても知りたいのです。
なぜなら、その歴史の中に絶望を希望に変える大切なものがおさめられている気がしてならないからです。
どうして自分がここまでこだわるのか、気になるのかはわかりません。
でもどうしても何としてでも知りたいのです。
最初はその想いだけで何をどうすればいいのかさえわかりませんでした。
でもその願いに天もお力を貸してくださったのか、昨年、たっちゃんさんに出会い、
広島平和公園の碑めぐりガイドを通してヒロシマのこころを教えていただく機会をいただきました。
http://ameblo.jp/tachan1941/
そして今は、たっちゃんさんに教えていただいたことを礎に、浜井元市長や
初代広島原爆資料館長の高橋昭博さん、初代広島原爆病院長の重藤文夫さん、
他いろんな方の著書を読むことにしました。
今古本屋に行っては、原爆関係の本を購入しています。
その時を生きていない私ではあるけれど、ヒロシマの復興に心と力を尽くされた方々の著書を読むことによって
その当時のヒロシマの人々の心に少しでも近づけるのではないだろうかと思っています。
本当は多くの時間を費やしてヒロシマのことを学んでいきたいと思ってはいますが、
他にもするべきことがあり、なかなか思うように勉強は進みません。
だけどもあきらめず、生涯かけてヒロシマを学んでいきたいと思っています。

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【祈りの泉】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11475235609.html
でもつい先日、「あきらめずに頑張れ」と天からエールを送られた気がしたうれしい出来事がありました。
全然別の用件でご紹介を受けた方がなんと語り部をされておられたのです。
この方は元教師で今でもいろんな学校にお話をしに行かれているそうです。
まだお会いしたばかりなのであまりお話はできていませんし、
別の用件でのご紹介なのですぐには難しいかもしれませんが、
いつかゆっくりとお話を聞かせていただく機会をいただけたらと思っています。
また別の方から、ナガサキの復興に尽くされたゼノ修道士の存在を教えていただきました。
私はこれからも少しずつでもヒロシマ・ナガサキの復興を学んでいきながら、
自分が知り得たことをお伝えしていけたらと思っています。
またヒロシマ・ナガサキから学んだことが、ずっと頑張り続ける東北の方たちの
何かお役に立てないかという想いもずっと持ち続けています。
以前からお話していますが、私は広島で仲間と
「たんぽぽ震災復興応援」というサイトを立ち上げ、東北を応援しています
http://ameblo.jp/light2011/
みんなそれぞれの生活をしながらの活動なので、大きなこともできないし、ブログの更新も本当にゆっくりです。
でもそれでもこの活動をずっと仲間と一緒に続けていこうと思っています
そして3月10日にたんぽぽは、あきサロンさんと共同で東北応援イベント第2弾を開催し、
カナダ人のドキュメンタリー作家 エステル・エベールさんが制作されている
「船越村へ支援の手を」というドキュメンタリー作品のビデオクリップ鑑賞会を開催しました
また後日、たんぽぽブログにて記事を出しますので詳しくは書きませんが、本当に素晴らしいイベントになりました。
それは参加された方たちの想いが本当に誠実で温かかったからです
またいろんな形で東北を応援されている広島の方たちとも知り合うことができました
これからこの方たちからいろいろなことを教えていただき、
またこの方たちの素晴らしい活動をたんぽぽでご紹介させていただけたらと思っています

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【ドーム】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11481760014.html
「私の想いの根っこにあるもの」
人の絶望を希望に変えるものは何なのか
人が絶望を抱えたまま 自ら生涯を閉じることはあまりにも悲しすぎる
その悲劇を 何とか食い止めることはできないのか
それが知りたくて ヒロシマを学ぶ
それが知りたくて ナガサキを学ぶ
あの日 廃墟と化した街の復興に心を尽くした人々よ
あの日 焼け野原となった街をよみがえらせた人々よ
どうか私たちに教えてほしい あなた方の熱き大きな志を
どうか私たちに伝えてほしい あなた方の不屈の闘志を
今 悲しみに沈んでいる人々が立ち上がれるように
今 苦しみにもがいている人々が前に進めるように
今 頑張り続ける東北の方たちのために
そして未来を担う子供たちのために
どうか力を力を貸してほしいのです
今を生きる私たちに どうか力を貸してほしいのです
そのために私はあなた方の心に近づく努力をし続けようと 心から思っています

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【原爆死没者追悼平和祈念館 サザンカに囲まれて】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11460544664.html
復興が一向に進まない現状があまりにも長く続き、明るい未来が見えず、希望が見えず、
生きる気力を失いかけている方たちが増えています。
先が見えない、未来が見えない現実がずっと続けば、心がこわれてしまいます。
同じ日本に生きている私たちは、東北で頑張り続ける方々に、
震災が起きたときよりもっと深くもっと温かく想いを向けていかなければと改めて思いました。
私は昨日、NHKで「ヒロシマ 復興を夢みた男たち 」という番組を見ました。
原爆投下で廃墟と化したヒロシマの復興に命を懸けて挑み続け、
どんな困難にも屈しなかった浜井信三元広島市長とそれを支えた男性達の物語でした。
それは私が今、とても知りたいと思っていた内容でした。
これまでに何度かお伝えしていますが、私の母はナガサキで被爆し、その後ヒロシマに移り住みました。
私はヒロシマ生まれヒロシマ育ちのナガサキの被爆二世です。

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【ドーム闇からの叫び】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11465696192.html
私は、原爆投下で絶望のどん底に突き落とされたヒロシマ、ナガサキの人々がなぜ立ち直れたのか、
なぜあれほどまでに復興できたのか、どういう想いで生きようとされたのか、
どういう想いで人々が街を再生しようとしたのか、それがどうしても知りたいのです。
なぜなら、その歴史の中に絶望を希望に変える大切なものがおさめられている気がしてならないからです。
どうして自分がここまでこだわるのか、気になるのかはわかりません。
でもどうしても何としてでも知りたいのです。
最初はその想いだけで何をどうすればいいのかさえわかりませんでした。
でもその願いに天もお力を貸してくださったのか、昨年、たっちゃんさんに出会い、
広島平和公園の碑めぐりガイドを通してヒロシマのこころを教えていただく機会をいただきました。
http://ameblo.jp/tachan1941/
そして今は、たっちゃんさんに教えていただいたことを礎に、浜井元市長や
初代広島原爆資料館長の高橋昭博さん、初代広島原爆病院長の重藤文夫さん、
他いろんな方の著書を読むことにしました。
今古本屋に行っては、原爆関係の本を購入しています。
その時を生きていない私ではあるけれど、ヒロシマの復興に心と力を尽くされた方々の著書を読むことによって
その当時のヒロシマの人々の心に少しでも近づけるのではないだろうかと思っています。
本当は多くの時間を費やしてヒロシマのことを学んでいきたいと思ってはいますが、
他にもするべきことがあり、なかなか思うように勉強は進みません。
だけどもあきらめず、生涯かけてヒロシマを学んでいきたいと思っています。

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【祈りの泉】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11475235609.html
でもつい先日、「あきらめずに頑張れ」と天からエールを送られた気がしたうれしい出来事がありました。
全然別の用件でご紹介を受けた方がなんと語り部をされておられたのです。
この方は元教師で今でもいろんな学校にお話をしに行かれているそうです。
まだお会いしたばかりなのであまりお話はできていませんし、
別の用件でのご紹介なのですぐには難しいかもしれませんが、
いつかゆっくりとお話を聞かせていただく機会をいただけたらと思っています。
また別の方から、ナガサキの復興に尽くされたゼノ修道士の存在を教えていただきました。
私はこれからも少しずつでもヒロシマ・ナガサキの復興を学んでいきながら、
自分が知り得たことをお伝えしていけたらと思っています。
またヒロシマ・ナガサキから学んだことが、ずっと頑張り続ける東北の方たちの
何かお役に立てないかという想いもずっと持ち続けています。
以前からお話していますが、私は広島で仲間と
「たんぽぽ震災復興応援」というサイトを立ち上げ、東北を応援しています

http://ameblo.jp/light2011/
みんなそれぞれの生活をしながらの活動なので、大きなこともできないし、ブログの更新も本当にゆっくりです。
でもそれでもこの活動をずっと仲間と一緒に続けていこうと思っています
そして3月10日にたんぽぽは、あきサロンさんと共同で東北応援イベント第2弾を開催し、
カナダ人のドキュメンタリー作家 エステル・エベールさんが制作されている
「船越村へ支援の手を」というドキュメンタリー作品のビデオクリップ鑑賞会を開催しました

また後日、たんぽぽブログにて記事を出しますので詳しくは書きませんが、本当に素晴らしいイベントになりました。
それは参加された方たちの想いが本当に誠実で温かかったからです

またいろんな形で東北を応援されている広島の方たちとも知り合うことができました

これからこの方たちからいろいろなことを教えていただき、
またこの方たちの素晴らしい活動をたんぽぽでご紹介させていただけたらと思っています


たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【ドーム】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11481760014.html
「私の想いの根っこにあるもの」
人の絶望を希望に変えるものは何なのか
人が絶望を抱えたまま 自ら生涯を閉じることはあまりにも悲しすぎる
その悲劇を 何とか食い止めることはできないのか
それが知りたくて ヒロシマを学ぶ
それが知りたくて ナガサキを学ぶ
あの日 廃墟と化した街の復興に心を尽くした人々よ
あの日 焼け野原となった街をよみがえらせた人々よ
どうか私たちに教えてほしい あなた方の熱き大きな志を
どうか私たちに伝えてほしい あなた方の不屈の闘志を
今 悲しみに沈んでいる人々が立ち上がれるように
今 苦しみにもがいている人々が前に進めるように
今 頑張り続ける東北の方たちのために
そして未来を担う子供たちのために
どうか力を力を貸してほしいのです
今を生きる私たちに どうか力を貸してほしいのです
そのために私はあなた方の心に近づく努力をし続けようと 心から思っています

たっちゃんさんのブログ 『ヒロシマ平和公園の四季』 【原爆死没者追悼平和祈念館 サザンカに囲まれて】より
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11460544664.html