最近、ブログをいろいろ改装していたら
ふと、おもいついた
整体的視点プロフィールです
興味のある方は
理想が高く、スパルタで、ヒステリックで、激しく強く、愛情深い母と
そんな母を愛する、超マイペースな父のもと、長女として生まれる
とってもおっとりした性格だったが
母の理想の元、厳しく育てられ
3歳で妹が生まれたときには
赤ちゃん返りすることもなく、むしろ逆に
「あんたは、とてもほっとした顔をしていた」と、母談
4歳か5歳の時
初めて来てくれたサンタクロース
朝起きたら、たくさんのおもちゃの包みがあり、幸せにひたる
ところが、私のところにサンタクロースが来てくれたのは、その年だけ
以後、クリスマスのたびに、「私がいい子じゃないからきてくれないんだ」
「それとも、家に煙突がないから?じゃぁ、なんで前は来てくれたの?」
と、思い悩む
が、「そうよ、あなたがいい子じゃないからよ」と、母に肯定されるのが怖くて
誰にも聞けず
(母は、季節の行事に興味なし)
初めての夏休みの宿題、絵日記は
完成度を高めようとする母のチェックにあいながら、3日かけて完成し
その後、3日間、熱を出して寝込む
冬休みの硬筆の宿題は
練習用の紙を、母が何十枚もコピーして
(しかも、青い線だったため、わざわざカラーコピー)
母のOKが出るまで、正月3が日、ひたすら練習する日々を送る
おかげで、小1金賞、小2銀賞をいただいた
本はたくさん与えてもらい、読み聞かせもたくさんしてもらっていたので
おかげで本を読むのは大好きだったが
夏休みの感想文の宿題
「○○がおもしろかった、○○がすごいと思った」を、ひたすら連発する私に
ひたすらダメだしをする母
おかげで、作文は大嫌いになり、私は文章力がないのだと、大人になるまで思い込む
お受験ママでしたので、小学校4~6年は、塾通い
思えば、この頃が一番勉強が楽しく、成績も良かったわ
しかし、小学6年のある時期
ストレス発散のため、友人と、塾帰りのゴムとびにはまる
「先生に質問して帰る」と親に嘘をつき、夜中の9時ごろ
オフィス街の人気のない雑居ビルの1階で、ゴムとびをする小学生女子
今思えば、危ない危ない・・・
小学校から、中学校にかけての私は
ちょっとでも寒くなると、喘息の一歩手前
夜中は、毎晩ひゅーひゅー言いながら寝ていた
喘息を、整体的にみると
これは、「言いたいことが言えない」時に出てくる症状です
しゃべらない、ということではなく
一見ぺらぺらしゃべっているように見えても
本心はしゃべっていないとか(本人の自覚のあるなしにかかわらず)
親に気を遣って、言葉を選んでいるとか
だから、親の気持ちを汲み取れる、やさしくて、繊細、敏感な子にもおこりがちです
さらに、一緒にいる人が驚くくらい、トイレが近かった
冬は、休み時間のたびにトイレに行く
大人になって、旅行に行っても
「またトイレ?」と、驚かれるくらい近かった
トイレが近いのは、腎臓のサインです
幼いときから、常に「お母さんに怒られるんじゃないか」と腰が引けていたので
腎臓さんは、常に圧迫
余裕がなーい感じに育っていっていたのでしょう
もともとは、おっとりした子だったため
運動神経もない、と思われていたのですが
小学校4年生の時、東京から福岡に転校し
地域の子ども会ドッジボールに参加し
ドッジボールの面白さにはまる
その後、中学高校はバレーボール
成績低下などで、どんなに母に「もう部活をやめろ」と言われても
「これがなくなったら、私は生きていけない」くらいまで思い込んでいて
どんなことをしても続けていました
今思えば、この球技が、内にこもったストレスや、エネルギーをうまく発散させてくれていたのでしょう
おっきな声も出すしね
あの厳しいお母さんで、よくぐれなかったね
と、いつも友人から言われていましたが
この球技のおかげだったと思います
これがなくなったら、生きていけない、は、本当に私の身体の声だったと思います
投げる、打つというような、腕を振るという動きは、身体の中のものを発散させるのに、とーってもいいのです
整体でもそういうワークがあるくらい
まだまだつづく