アタック散歩 不便ではあったがよかったねえ昭和という時代編 | 片麻痺回復への道(アタック散歩)

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2008年夏に44歳で、脳卒中後遺症重度左麻痺になりました。リハビリにて回復を目指しております。

なんか今、電動キックボードの実証実験を特定の地域でやってるようだが、ヘルメット着用が義務だそうだ。ヘルメット着用で思い出すのが、原チャリのヘルメット着用義務も自分の一つ先輩はノーヘルで乗れていたんだよねえ。高校になった時に先輩にお前らはヘルメットかぶらなきゃならんのだぞと言われたのを思い出すねえ。昭和の時代にはスマホ・携帯・ネット・コンビニなど今では当たり前のものがなかったけれど、それなりに良い時代であった。皆おおらかでもあったねえ。今と変わらずにあおり運転もあったが、されたらどこまでも追いかけて行って無理やり止めて引きずり出してぶっ飛ばしていたよねえ。あおるほうもそれを覚悟してやっていたものだ。それに地元で、よそ者があおっってきたりしたら、すぐに仲間が集まってきて囲まれるものだからかえって怖くてできなかったよねえ。自分も知らない先輩にあおられて止めて文句言っていたらその人の仲間に囲まれたことがあった。この場合の文句にはむなぐらつかむという行為が含まれるのだが。そのくらいの騒ぎですぐに警察が動かない時代でもあったねえ。自分らが恐れるのは移動交番だ。あれに捕まると車内は地獄だったよねえ。パイプ椅子に座らされて、その椅子を蹴っ飛ばされて脅かされたよねえ。そんなことも許されていた時代が昭和である。まあ、学校でも、教師がすぐにひっぱたくなんてこともあったねえ。正座させられたことも多々。正座はまだ軽いほうだ。バケツに水入れて持たされて廊下に立たされるなんてこともあったしねえ。これはすべて軽いほうだ。これを過ぎるとひっぱたかれたんだよねえ。子供のほうもその加減がわかってるのでこれくらいなら正座だとかひっぱたかれるなあ?と考えてもいた。時々その加減が違う講師がいた。これでひっぱたかれるの?とすごくハードルの低い教師がいたのも事実。運動部で罰でうさぎ跳びさせられたが、今はないそうである。 にほんブログ村 病気ブログ 片側痙攣・片麻痺・てんかん症候群へ
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