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一人の人間として

尊重してもらえずに

育てられた私が成長して、

どんな大人になっていったか。

 

 

悪い子は叩かれるけど、

「悪い」と判定されなければ

とりあえず、生き延びられる。

そういう考えが私の根底に

流れ続けることになります滝汗

 

 

自分を守るためにも

良い子でいることに

必死になってきた癖は

母に対してだけでなく

誰に対しても、そう反応するように

なってしまいました。

 

 

 

いい子、良い人、出来る人、よく気が付く人…

そういう人がやりそうなことは

なんでも、とりあえずやる。

 

だけど、人は常に私をジャッジしている。

いつ、私は「悪」と判定されて

責められるか分からないから、

あまり接触はしないようにしよう…。

 

 

↑この2つを両立させると、どうなるか。

 

 

 

 

私はしばしば ”縁の下の力持ち” と

評されるようになりました😅

 

 

人から評価されるのでは…

という恐怖があるので、

表舞台は大嫌いなのです。

 

注目されれば、

それだけ評価される可能性が

増えますからね。

 

 

先日も、この名残となる

出来事がありました。

 

 

私は、素粒子実験が専門の

理学博士でもあります。

 

すっかり実務からは離れてしまい

研究者とは、到底言えませんが、

卒業した研究室とは

今でも、たまに連絡を取ります。

 

 

やはり、素粒子実験は面白いので

いつか、また戻ってみたいなぁ。

そんな気持ちもあるからです。

 

 

私の指導教官は

すでに退官されましたが、

同じ研究室の先生で

私の副査の先生はまだ現役です。

 

(博士号を取得する際の審査では

指導教官が主査となり、

他分野や他大学の先生など4~5名が

副査となって、当人の研究論文が

理学博士にふさわしいものであるかを

協議されます。)

 

ある日、その副査だったS先生から

メールが届きました手紙

 

 

(なんだろうな…😅

なんか、面倒な内容じゃないといいけど…笑)

 

と思いながら、読んでみました。

 

 

ここで、まず出来事の背景として、

少し状況説明をさせて頂きますね。

 

むかーし、むかし、

今から18年くらい前に

とある研究所の、大御所の先生が

私の大学の学生たちに

特別集中講義をしに来てくださったことがありました。

 

その内容には、素粒子の反応を

プログラミングを使って

再現してみる(シミュレーションしてみる)。

という実践講義も含まれていて、

その準備を仰せつかったのが私でした。

 

 

我が研究室のホームページには、

この研究室で、どんなことをしてきたか

という過去の歴史が

ダラダラと書かれているページがあるのですが、

その特別集中講義のことも、書かれていました。

 

それを見た、S先生と面識のある

とある研究所の教授(T先生)が、

若手の指導の参考にしたいので、

当時、どのようなプログラムで

どのようなシミュレーションを

したのかを知りたい。

(プログラミング)ソースがあれば、コピーを頂けませんか?

と連絡をしてこられたそうなのです。

 

 

20年弱も前の話ですし、

研究室には人の出入りもたくさんあるし、

研究も色々あるので、

1日だけの集中講義で使った資料が

どこに行ったかわからなくなったとしても、

「まあ、そんなこともあるよね😅アハハハ」

ということがあり得るのは推測できます。

 

 

でも、S先生のメールには、

 

「その時の資料やソースがどこにあるか、

何か記憶していることがありますか?」

 

と書いてありました。

 

 

それを読んだ時には

 

よくも、そんな昔のことを聞いてくるよなぁ…

未だに私がなんでも知っているとでも思うのかな😅

 

と思わずにはいられませんでしたよタラー

 

 

しかしながら、当時の私は、

 

”「出来る人」「役に立つ人」

そういう評価を得ないとならない。”

 

と自分に課していました。

 

先生達は、私の母親ではないのに、

母に「良し」と言われようとしているが如く、

研究室の煩いごとの大半を

引き受けて、一人必死に働いていたんです…。

 

 

 

 

そして、S先生のメールの内容はどうなったかというと、、、

 

 

私の私物で、

当時の研究関係の資料を入れてある

ハードディスクの中身を探してみたところ、

「いつか、自分が参考にするかも」

と思ったのか、

当時の資料やソース一式が

ちゃーんと取ってあったんですよねぇ笑

 

 

S先生に

「これだと思いますが、中身を確認して頂いてよろしいでしょうか?」

と返信したら、

 

「うん!

今、見てみたけど、これで間違いなさそうだ!

ありがとう、よく持ってたね。

T先生に渡してあげるよ。」

と返事がきました。

 

 

 

 

T先生は、直接私のことは知りません。

 

S先生から、20年近く前の講義に使った資料やソースを

受け取ったT先生は、

私の研究室では、過去の資料やデータが

しっかりと管理されているのだと

思うでしょうし、

このやり取りは、一両日中に起きたことなので、

T先生の中では

これをサッと返してくるS先生の株が上がったことでしょうね。

 

本当は、「私が管理してたんですよ!私のおかげなの!」

って大声で言いたいけど、

それが元で評価されるのは怖いし、

 

「え?そんな20年くらい前の話、分かりません」

と返して、

 

「やっぱり、お前でも分かんないかー」
と、『ダメな奴』とでも言いたげな反応が

S先生から返ってくるのも嫌だし…😅

 

常に「できる人」を目指すようにセットされたおかげで

大変苦労の多い生き方になりました笑

 

 

 

結婚したって、この癖は抜けませんでした。

 

夫は、本当に周りの人の気持ちに鈍感だし、

想定される良くない状況に対する”対策”という

考えが一切ありません。

 

 

あらゆることにおいて

「こうしておいた方がいいんじゃないの?」

「これは、このままで大丈夫なの?」

と私が聞いても、

 

『分かんないけど。別に平気じゃない?』

しか返ってきませんでした。

 

 

平気じゃねぇだろ、絶対、あとで困るよな?真顔

と内心思っていても、

それは口には出さず笑

 

私が考えつく対策を講じて、

 

「こうしておいたから、これやってね(使ってね、渡してねetc.)」

と、夫のフォローをし続けていました。

 

 

夫の言動に不快感が募り、

大爆発して、

そのすべてのフォローを辞めた時、

 

夫は私に

 

「今まで、うまくやれてたのに、

なんでこうなっちゃうんだよ!」

 

と言いました…。

 

 

その時は、

 

(上手くやれていたのは、

私が管理していたからだよ。

 

そして、そのことにお前は一切の感謝も示さず

気付きもしないから、

取り上げられたんだよ、何言ってんだむかつき)

 

 

と腸が煮えくり返りましたね…笑

 

 

 

怒られたり

叩かれたり

「悪い子」と言われたり

罰が下ると言われたりして

常に恐怖や不安と隣り合わせにさせられて、

 

それを回避するために

いつでも

いい子、良い人、出来る人、頑張る人

でい続けなければならないと

必至でした。

 

 

自分に評価を下す「人」という

存在から

自分を守らなければ…という

気持ちがとても強いままに

生きてきたなぁと思います。

 

 

 

わざと怠けたり、

怠惰になったりする必要はないけれど、

そんなに「優良」判定を

取ることに必死にならなくても、

自分なりに”頑張れてる”って感じるなら

それでいいじゃない。

 

周りの人の判定は、

結局のところ、

その人自身にとって便利だったり

都合が良かったりする時

「優良」になるんで、

私にとって良いことだから

「優良」判定するわけじゃないんだよ。

 

 

最近は、そう思えるようになりました。

 

 

まだ、人の評価が気になってしまうことは

多々ありますが、

それでも、少し前よりかは

だいぶ楽に生きています。

 

愛着は、人の根幹です。

 

パーソナリティ(性格)も

愛着の経験から構築されていきます。

 

もちろん、生まれ持ったものもありますが、

生まれた後の、養育者(特に母親)との関係性で、

その人自身の性格や人生は

大きく変化し、影響されるんです。

 

 

確かに辛い出来事に遭遇したら、辛いです。

嫌な奴と仕事をしたり、

生活を共にしたりしなければならないのは

辛い出来事かもしれません。

 

でも、その辛さを

淡々と穏やかに過ごすか、

喚(わめ)き散らして罵倒して暴れて過ごすか。

それはあなた自身が選ぶことが可能ですよ。

 

 

「このままでは、今にも心が死んでしまいそう。

穏やかになんて過ごせるわけない。」

 

と感じていますか?

 

 

あなたの心が、雑に扱われているから

助けを求めているのかもしれませんね。

 

 

不快に感じる理由の根元には、

子供の頃に愛着が傷つけられた出来事が

きっと絡みついていると思います。

 

 

「だって、〇〇されたら、誰だって

嫌な気持ちになるでしょ!不快でしょ!!」

と思う、その不快の根源が

どこにあるのか、

自己理解の旅をしてみると、

今よりもずっと、楽に生きていかれると思うんですよね。

 

 

でも、知らないことは、考えられませんからね。

是非、考える素になる愛着について

これから、知って頂けたら嬉しいです照れ


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