先日起きた、京都の進学塾の小6殺害事件は、「安全なはずの教室で」というようなショッキングな見出しでずいぶん書かれています。果たして塾よりも小学校の方が安心なのか、と問われたらそこは断定はできませんが、はっきりしているのは、学校の教師はそれなりにさまざまな試験を行い、資格を得た人間がなっている、という点でしょう。

塾の講師は、その点学習塾自体の方針にもよるでしょうが、そこまで細かい審査や試験を行う余裕もないでしょうし、本来そんな必要はないでしょう。塾に求められているのは、より効率的に勉強ができるようにすることだけであって、友だちを作ることや、遊ぶことなどは教えなくてもいいのですから。

それともそうじゃないのかな。

たぶん、そういう点についてはいままで問題が起きて来なかったか、表面化しなかったために、子どもたちを預ける親の側がなんとなく「安全だろう」とタカをくくってあまり真剣には検証して来なかった部分なのかも知れません。

現実的には、塾の講師が人気を集めれば集めるほど、学校の先生になりたいはずの人材は民間(学習塾)に流出する結果となるだろうし、勉強さえ教えられればいい、というような人材のチェックの仕方ではこの流れは押しとどめられないような気がします。小泉総理の好きな「民間でできることは民間で」の現れの一つかも知れません。

自分を含めて、そんな大人たちを見て育つ、今の子どもたちの成長した姿はあまりうるわしくはないような気がしました。

ではどうすればいいのか。このままゆるゆると学校教育制度の解体・ゆるやかな自殺を見守るか、あるいは学習塾の人材登用・育成プログラムをチェックする方法論を見いだすか。もしかしたら両者の融合が必要なのかもしれないな、と思い始めています。

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ミスワールドが相変わらずおこなわれていて、今年は中国でおこなわれたそうですな。で、優勝したのがアイスランドの女性で、ウヌーア・ビルナ・ウィルヒャルムスドティールさん(21)だそうです。

どうも名前からするにあまりヨーロッパっぽくもなく、顔だちも中東系?あるいはアジアかも、という感じの方ですな。

まあ、そこは別にして、肝心なのは職業で、警察官なのだそうです。まあ、警察官がミス・ワールドに応募してはけしからん、ということはないのかもしれませんが、一般的なイメージとしてはどうなんでしょう。面が割れる、というか、駐車違反の取り締まり中にもいろいろと話しかけられたりして、職務の遂行にあたってやりにくくなったりはしないんでしょうか。

まあ、余計な心配かもしれませんが。

それにしても、ミス・ワールド、まだやってたんですね。なぜこれがそれほど注目されなくなったのか、ちょっと考えたんですが、

1)審査をする立場が誰の目線なのか明確でない。
 実際、誰が審査してるのか知りませんし、どういうことをチェックしているのかもある時期から分かりにくくなりましたよね。

2)「世界で一番」になる、ということの意義があんまり感じられなくなった。
 スポーツだと、勝負という基準があり、そのなかで「勝てば強い」というのがありますから、世界中の人が集まって最後まで勝った人は「最強」なのです。怪我をしようと、緊張して実力が出せなかろうと、それは言い訳に過ぎず、とにかく勝った者はその時点での「最強」でしょう。でも「美」という抽象概念を異なる文化圏からの参加者で競うと、これはもう相対化を免れない、というか、結局「好き好きじゃん」、という所に落ち着いてしまいますよね。

3)「本当に美しい」人は他にもいることが分かってしまった。
 情報がこれだけ行き渡ると、世界中にきれい、と言われる人はいくらでもいるし、インターネットで画像だって手に入る。そうなると、女優さんやアイドルがきれいだ、という人もいるし、看護婦さんがきれいだ、という人もいるでしょう。ある意味では「美」にもプロの世界が存在するわけで、でもこういう場で審査されるのはあくまでも「アマチュア」でなければならない。

これらの制約を乗り越えたうえで、あえてこういうイベントを続けていく、というのはやっぱり話題づくり先行のマッチポンプとしての意義しかなくなってしまったのかなぁ、なんて思います。
イギリスの警視庁が、チャールズ皇太子に事情聴取をおこなったそうですな。ダイアナ妃の事故をめぐる状況について、ということらしいのですが、今頃になってなぜ、というのと、今頃になってまであえて事情聴取を行う、というのは何かあるのか、というのと、事情聴取をおこなうことで一種のみそぎを済ませたいのか、とかいろいろ解釈のしようはあるような気がします。

まあ、本当の所は、外野には一切分からない話だし、故人はもうもどらないのですが。

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講談社ノベルスから。実はこれはシリーズの2作目で、1作目は「猫丸先輩の推測」です。前作を読んだときはそれほどピンと来なかったのですが、この2作目の方が個人的にはすっきり読めて、楽しめました。

年齢・職業不詳の童顔の猫丸先輩がいろんな知人の身近に発生した事件、ふしぎな出来事について独自の理論を展開して、日常生活に潜む謎を解いていく、あるいは仮説を提示する、という短編集です。

なかには、叙述トリックめいたものが使われている部分もあり、ぼくもうっかりだまされたストーリーもありました。まあ、仮説が当たっても当たらなくてもいいんですが、ただ人を煙に巻くだけの本当の空論のケースだと、やはりちょっとカタルシスが少ないかも知れません。

「とむらい自動車」と「夜の猫丸」が個人的にはお勧めです。
スピルバーグが作った会社、というイメージしかなかったので、アンブリン・エンターテインメントと区別がついてなかったのですが、ドリームワークスがパラマウントに買収されるそうです。スピルバーグとアニメのカッツェンバーグ、音楽のゲッフェンが共同で出資した会社だったんですね。
いままでの作品を見てもそれなりに大作が並んでいるとは思うんですが、「宇宙戦争」ぐらいのヒットがあっても、経営が立ち行かないもんなんですね。元手がかかりすぎなんでしょうか。
ezwebのブラウザーに不都合が見つかったとか、本日発表されていました。勝手に意図しないページにReferrerとやらを送信してしまうのだそうです…。
自分はauユーザーなんですが、この不具合で困った事は一度もないので、ソフトウェアの書き換えをわざわざしに行くかはかなり疑問です。携帯でわざわざホームページを見るという習慣はやはりないし、そんなことに通話料あるいはアクセス料金を払う、というのはやはりもったいないと思うのです。
そもそも、携帯電話って、そんな画面が見えるほど大きいサイズにしたら携帯しづらいじゃないですか。
やっぱり携帯電話はメールができる程度がちょうどいいのでは。
ワールドカップの組み合わせが決まったそうですな。
あらあらブラジルと同じ組だわ。NHKのニュースを見てますが、奥寺さん太ったなぁ。演歌歌手みたいだ。
しかしブラジルと当たるのが一番最後なのはどうなんだろう。前半絶対に取りこぼせない展開なんだけど、クロアチアは強いよー。とにかく得点力が違うからなぁ。オーストラリアに仮に勝てたとしても相当厳しいよね。

日本が最高潮に調子を維持したとしても、相手が万全だと歯が立たない相手だと思うんですが、どうなんでしょう。「日本にもチャンスは十分あります」とか解説者は軽く言うんだけど、あんまり楽観論を広めない方がいいのでは?

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千駄ケ谷のダイナー、2度目の訪問です。前回写真を撮り損なったダブルバーガーを今日も頼もうかと思ったのですが、ふと見ると単品で面白いメニューを見つけたのです。それが「バッファロー・チキン」と「チリ・ビーンズ」。さっそくコーヒーと一緒に頼んでみました。

チキンは好物ですが、まさかこんなにたくさん来るとは。揚げ具合もカリカリ熱々でなかなかのものです。それでいて脂っぽくないのがよいですね。こんなに手羽先をひとりで消費してしまうと、残りの部分はどこに行ったんだろうか、なんて気になったりします。

で、チリビーンズですが、ごらんになって分かる通り、トルティーリャのチップスがずいぶんたくさんついてます。というかつき過ぎです。チリビーンズがもっとたくさん食べられたら言う事ないんですが。味付けはまあ普通です。個人的な好みだともっと辛くしてくれてもいいんですけどね。

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文庫本で読みました。安部公房は学生のころはずいぶん読んだ記憶があり、「箱男」や「燃えつきた地図」など印象に残っています。学校の教科書に「空飛ぶ男」という短編がのったこともあったかな。思えば彼が、人生で始めて出会った「前衛」だったかも知れないですね。

文房具屋に勤める主人公が、ある日何の気なしに書いた一行メモの企画「カンガルー・ノート」がなぜか通ってしまった事から始まる奇妙な体験のローラーコースターなんですが、そのきっかけが足に生えたかいわれ大根だというのがまたおかしいですね。大阪のO-157騒動との関係はないでしょうが。

で、かかった医院の看護婦とのやりとりが一つの縦軸にはなっています。主人公は性的な興奮をしばしば覚えているのですが、この人の作品にしばしば見られるように、無機質な描き方をされています。

移動のためのツールは病院であてがわれたベッド。それに点滴の道具やら、尿道につながれた袋とか、妙なディテール。そして繰り返し流れる三途の川の小鬼達の歌。終末を迎えつつある老人と安楽死。さまざまな道具立てがすべて「死」をめぐって展開されます。

普段よりもややそういう意味での主人公の心情が生々しい描き方をされているなぁ、とうすうす感じて、あとがきを読むと、なんとこれが筆者最後の長編小説だったのだそうです。晩年は体調不良と戦いながらの執筆だったのですね。主人公の最後の一言が「怖かった。」であるのも、また生々しさを感じさせます。

あとがきはドナルド・キーンさんなのですが、この小説を読んで最初はずいぶん笑った、と書いておられますな。正直言って、そんなに笑うほど面白い、ユーモアたっぷりの小説ではないのですが、不条理テイストはたっぷりです。あるいみ吉田戦車の不条理さをずいぶん前に小説世界に導入していた人かも知れません。ただ、キーンさんの言う、安部公房の「恥ずかしがり」ぶりは納得いった感じがしました。もう一度この人の作品読み直したくなりました。
アメリカ/フロリダ州のマイアミ国際空港で乗客の男性が射殺されたそうです。どういうつもりか飛行機の中で「爆弾を持ってる」と発言したそうで、飛行機から降りるときに空港保安官から警告を受けたにも関わらず無視してかばんに手を伸ばしたため射殺された、ということなのですが…。

ちなみに爆弾は発見されなかったそうです。

まあ、冗談を言っていい時と悪い時があるとすれば、これは最悪のタイミングで、自業自得、と言われてもしかたないのかも知れませんが、発砲はともかく射殺が必要だったのか、というと疑問ですね。空港保安官にはそれほど射撃の技術がなかったのかも知れません。政府はもちろん保安官をかばうでしょうが。

こういう時期にあえてこういう発言をしたという事は、もしかしから自殺できないので、わざと発砲を誘ったのかも、と一瞬おもったのですが、考えすぎでしょうかね。