先日起きた、京都の進学塾の小6殺害事件は、「安全なはずの教室で」というようなショッキングな見出しでずいぶん書かれています。果たして塾よりも小学校の方が安心なのか、と問われたらそこは断定はできませんが、はっきりしているのは、学校の教師はそれなりにさまざまな試験を行い、資格を得た人間がなっている、という点でしょう。
塾の講師は、その点学習塾自体の方針にもよるでしょうが、そこまで細かい審査や試験を行う余裕もないでしょうし、本来そんな必要はないでしょう。塾に求められているのは、より効率的に勉強ができるようにすることだけであって、友だちを作ることや、遊ぶことなどは教えなくてもいいのですから。
それともそうじゃないのかな。
たぶん、そういう点についてはいままで問題が起きて来なかったか、表面化しなかったために、子どもたちを預ける親の側がなんとなく「安全だろう」とタカをくくってあまり真剣には検証して来なかった部分なのかも知れません。
現実的には、塾の講師が人気を集めれば集めるほど、学校の先生になりたいはずの人材は民間(学習塾)に流出する結果となるだろうし、勉強さえ教えられればいい、というような人材のチェックの仕方ではこの流れは押しとどめられないような気がします。小泉総理の好きな「民間でできることは民間で」の現れの一つかも知れません。
自分を含めて、そんな大人たちを見て育つ、今の子どもたちの成長した姿はあまりうるわしくはないような気がしました。
ではどうすればいいのか。このままゆるゆると学校教育制度の解体・ゆるやかな自殺を見守るか、あるいは学習塾の人材登用・育成プログラムをチェックする方法論を見いだすか。もしかしたら両者の融合が必要なのかもしれないな、と思い始めています。
塾の講師は、その点学習塾自体の方針にもよるでしょうが、そこまで細かい審査や試験を行う余裕もないでしょうし、本来そんな必要はないでしょう。塾に求められているのは、より効率的に勉強ができるようにすることだけであって、友だちを作ることや、遊ぶことなどは教えなくてもいいのですから。
それともそうじゃないのかな。
たぶん、そういう点についてはいままで問題が起きて来なかったか、表面化しなかったために、子どもたちを預ける親の側がなんとなく「安全だろう」とタカをくくってあまり真剣には検証して来なかった部分なのかも知れません。
現実的には、塾の講師が人気を集めれば集めるほど、学校の先生になりたいはずの人材は民間(学習塾)に流出する結果となるだろうし、勉強さえ教えられればいい、というような人材のチェックの仕方ではこの流れは押しとどめられないような気がします。小泉総理の好きな「民間でできることは民間で」の現れの一つかも知れません。
自分を含めて、そんな大人たちを見て育つ、今の子どもたちの成長した姿はあまりうるわしくはないような気がしました。
ではどうすればいいのか。このままゆるゆると学校教育制度の解体・ゆるやかな自殺を見守るか、あるいは学習塾の人材登用・育成プログラムをチェックする方法論を見いだすか。もしかしたら両者の融合が必要なのかもしれないな、と思い始めています。