その頃、
夕飯を作るのはほとんど春樹だった。
美桜が来る日は、
自然とキッチンに立つのも春樹。
美桜は、
ソファに座っていたり、
テーブルを拭いたり。
「手伝いますか?」
と聞かれると、
「大丈夫ですよ」
と返ってくる。
この家のキッチンは、
まだ完全に春樹のものだった。
その日も、
いつもの流れで冷蔵庫を開けて、
春樹が言った。
「……今日は、
カレーにします」
「カレー?」
美桜が顔を上げる。
「はい」
「時間、
かかるやつですか?」
「いや、
いつものです」
“いつもの”。
その言い方が、
少しだけ照れくさそうだった。
鍋に油をひいて、
玉ねぎを切る。
特別な工程はない。
肉を入れて、
野菜を入れて、
水を入れる。
美桜は、
キッチンの入口あたりで
その様子を見ていた。
「いい匂いですね」
「そうですか?」
「はい。
なんか……
落ち着く匂い」
火加減を見ながら、
春樹は少しだけ笑った。
「これ、
一人のときから
ずっと作ってるやつで」
「失敗しないので」
「安心感、
ありますね」
「それだけが取り柄です」
ルウを入れて、
ゆっくり混ぜる。
ぐつぐつ、
というより、
コトコト。
「味噌汁も、
作りますね」
「カレーなのに?」
「はい」
当然、という顔。
「……それ、
定番なんですね」
「定番です」
テーブルに並んだのは、
カレー
ごはん
味噌汁
そして、
申し訳程度のサラダ
「いただきます」
美桜が一口食べて、
少しだけ間が空く。
「……美味しい」
「本当ですか?」
「はい」
「なんか、
春樹さんらしい味ですね」
「それ、
どういう意味ですか?」
「派手じゃないけど、
ちゃんとしてる」
「毎日食べられそうな味」
春樹は、
少しだけ安心したように息を吐く。
「よかったです」
それから、
少し照れたように付け足す。
「正直、
誰かに食べてもらうの、
初めてで」
美桜が驚いた顔をする。
「え、
そうなんですか?」
「はい」
「自分用、
だったので」
美桜は、
もう一口食べてから言った。
「……じゃあ、
光栄ですね」
「初・春樹さんカレー」
「大げさです」
「でも」
美桜は、
スプーンを置いて、
少し真面目に言う。
「私、
こういうカレー、
好きです」
「お店の味より、
ずっと」
春樹は、
少しだけ黙ってから、
「ありがとうございます」
と、
小さく言った。
その夜、
キッチンはまだ春樹のものだった。
でも、
誰かに振る舞ったことで、
少しだけ意味が変わった。
春樹は、
鍋の底に残った分を見て、
いつものが、特別になった
そんなことを思っていた。
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