「自己実現に夢中になる人で満ち溢れた世界をつくる」

そして、

「自分らしく生きる人で満ち溢れた社会をつくる」

その結果、

「自己実現した人にしか見られない風景を誰でも見られる世界をつくる」

そんなビジョンを掲げる

「未来価値創造パートナー」の渡邉敦です

 

 

 

こんにちは。

 

今日は多様な意見が生み出す価値といった話を書いてみます。

 

「経営の神様」と呼ばれた故稲盛和夫氏は会議の場で何を求めたのでしょうか?

 

会社では、会議の大切を様々な観点から、意見されています。一方で時間のムダだと考える人もいれば、情報の交換によって視野を広げる機会だと言われる方もいれば、自分自身の売り込みによって地位・キャリアを向上させたりする重要な場と捉えている方もいます。

 

 

故稲盛和夫さんのコメントをこの記事から抜粋したいと思います。

 

会議の席上で黙っている者を彼は嫌いました。どんどんしゃべれと。「知りて言わざるなく、言いて尽くさざるなし」であらねばならない。自分の言った言葉で縛って、責任でガンジガラメにして逃げられないようにすることが頑張りを要求され、努力が強要され、仕事ができるのであって、なるべく言わないように逃げるような人間は仕事ができないやつだと。

 

人間も鉄のように熱いうちにたたかれ鍛えられて成長するのだ。ドンドンしゃべれ、しゃべって叩かれ、「多言実行せよ」と。これは、「10言って5しかできなかった人間」と「3言って3できた人間」では、「言っていること」と「やっていること」の整合性は、3の人間の方が上だ。ただ、10言って5しかできなかったとしても、結果として、3の人よりも成果を出していることも事実だ、と説明されています。

 

大風呂敷を広げて「あれもやります、これもできます」という人は信用できないという文脈で捉えられることもあるが、たくさん動けば失敗も当然増えることぐらい、上に立つものは分かっているということだろうと(ここまで)

 

稲盛さんのコメントをまとめると、「挑戦を恐れない」という姿勢を「会議の場で見せよ」、そして「会議の場で様々な角度から意見をもらうことで企画をブラッシュアップして気づきをたくさん得よ」、「それは自分の成長につながる」なので「そういった場づくりに管理者は努めなさい」と促されている、と感じました。

 

とはいえ、現実はこのような会議の場は少ないような気がします。僕の会社でも会議は議論の場ではなく、確認の場であることの方が多かった気がします。

 

例えば、僕がある企画部門の統括マネージャーをしていたときの話です。

 

社長からコストダウンの指示が出され、2週間かけて各組織と折衝を重ね、ようやく5%のコストダウンのシナリオがまとまり、その資料を上司の役員から、役員会で説明をしていただきました。

 

ところが、役員会の結論は、「15%のコストダウンを目指す」という+10%の目標が追加されたものでした。こうなってくると無理を通りこしてムチャです。不正まがいのことをやらないと、到底達成できません。一体、役員会でどんな議論をしたのか、上司に尋ねてみました。

 

各組織の担当役員には根回し済みなので、滞りなくプレゼンは進み、特に意見も出なかったそうです。ところが、社長の「この程度で会社の危機が乗り切れると、君たちは本当に思っているのか?」という一言で、空気が一変してしまいました。

 

「そうは言われても」と誰かが弁解しようものなら、「できない理由ではなく、できることを考えろ」と言われ、そのうちに、「わかりました。ウチはさらに1%上積みします」と威勢のよい役員が現れ出し、列車に乗り遅れまいと次々と他の部門長も上積みしたそうです。

 

そうやって、根拠のない数字を足し合わせると、提案の2倍以上の15%に積み上がった、というのが事の顛末(てんまつ)でした。「本気度を試されている空気感があった」「みんながやるというのを、止められなかった」「自分だけやれない、とは言えなかった」というのが上司の言い訳でした。

 

●有能な人たちが愚かな決定をしてしまう

会議とは、多様な意見を持った人が集い、いろんな角度から問題を検討し、よりよい意思決定をするためのものです。ところが、会議にかけることで、個人では到底ありえない結論を導いてしまうことがあります。「集団浅慮」(グループシンク)と呼ばれる現象です。

 

心理学者I・ジャニスは、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機など、米国が直面した危機的な状況における政策決定の経緯を調査しました。そのなかで、判断の誤りや意思決定の失敗などが、なぜ起こるかを分析してこの現象に行き当たりました。

 

興味深いのは、当時の米国の最も有能な人たちの集団で、集団浅慮が起こったことです。「自分達は失敗しない」という過信が生まれ、外部からの忠告や都合の悪い情報を軽視しがちになるのが原因だといわれています。

 

集団浅慮は、冒頭のケースのように、場を支配する強いリーダーがいるときに、起こりやすくなることが知られています。リーダーによい印象を持ってもらいたくて、ご意向と異なる方向の意見が出しにくくなるからです。

 

加えて、集団が一つにまとまろうとする力(集団凝集性)が高いときが危険です。正しい答えを選び取るより、合意形成することが目的になり、和を乱す意見が出しづらくなるからです。「全員の意見が同じ」と思いこんで、深く議論しなくなってしまいます。

 

●結論が両極に振れがちになる

集団浅慮が働くと、極端に危険な結論になることがよくあります。「リスキーシフト」と呼びます。冒頭で紹介した事例がまさにこれです。

 

たとえば、一人ではとても言えない極端な話でも、みんなと一緒なら主張したり同調したりできます。ネットの炎上が典型的な例です。

 

節度ある大人でも、集団に紛れると過激になれます。より過激なほうがカッコよく映り、リーダーがそれを求めていればなおさらです。どんどん威勢の良い方向に話が進んでしまいます。

 

しかも、みんなと意見が同じだと、正しいと思いこんでしまいます。みんなで決定すると、一人ひとりが無責任にもなります。いわゆる「赤信号、みんなで渡れば怖くない」です。

 

逆に、極端にリスクを回避する方向に振れることもあります。「コーシャスシフト」と呼びます。

 

プロセスは先ほどと同じで、保守的な意見のほうが思慮深く見えるところだけが違います。どんどんとリスクを回避する無難な方向に議論が流れてしまうのです。今決断しないといけないのに、何も決めずに先送りをすることもあります。

 

いずれにせよ、先に述べた条件が重なると、議論が極端な方向に流れることがあり、「集団極化現象」と名づけられています。これらを防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。

 

●集団浅慮を打ち破る一つの質問

集団浅慮の名付け親であるI・ジャニスは、「全員が批判的な目を持つ」「リーダーが最初に意見を述べない」「外部の第三者の意見を加える」「あえて反対意見を述べる役割をつくる」といった対策を提案しています。いずれも合理的な意思決定には欠かせない方法です。

 

しかしながら、頭で分かっていても実行するのは簡単ではありません。全員が同じ方向を向く「メダカ集団」になりやすいのが日本の組織だからです。場の空気に抗するのは至難の技です。

 

そこで紹介したいのが、心理学者G・クラインが提唱する「プレモータム」と呼ばれる手法です。ほぼ会議の結論が見えてきたところで、次の質問を自分自身もしくは全員に質問をするのです。「もし、この決定が失敗するとしたら、なぜだろうか?」と。

 

冒頭のケースでいえば、「つじつまを合わせようと、不正に走る社員が現れてしまった」「社員に過度な負荷がかかり、メンタルをやられた人が続出した」「現場を無視した経営のやり方に社員がついていけなくなった」などの答えが考えられます。

 

これらが本当に起こったら、経営に対するインパクトは甚大です。ありえない結論であることはおのずと気づくはずです。それでも気づかないようであれば、もはや経営者失格です。

 

冒頭の話では、15%のコストダウンは努力目標となりました。最低5%という気持ちでやって欲しい、と社長からフォローが入りました。加えて、目標達成の有無を問わず、頑張ったプロセスを表彰したいともいわれ、俄然役員は部下への指示がしたすくなりました。さて、みなさんの職場ではいかがでしょうか。

 

それでは、今日も笑顔あふれる素敵な一日をお過ごしください!

 

頑張り屋のみなさんを応援しています!

 

「A&W コンサルティング」
 代表・中小企業診断士 
    渡邉 敦 (Atsushi WATANABE)

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