こんにちは。
今日は「倫理的ジレンマの理解」といった話を書いてみます。
能登半島地震で被災した石川県では、発生当初は遅れが目立ったボランティアによる支援活動が広がっている。ただ、半島北部では現在も多くの損壊住宅が残る。梅雨を控え「他地域で災害が起きたら能登の支援を縮小せざるを得ない」との声もあり、大型連休中に取り組みを前進させられるかどうかが焦点となる。
珠洲市正院町の男性宅は地震で全壊し、解体を予定している。4月29日、ボランティアがたんすなどの搬出作業を行った。参加した愛知県みよし市の大学生、宮崎陽香さんは「作業は一日では終わらない。被災地にはもっと多くの人が必要だと思った」と話す。(日経記事より抜粋)
さて、能登半島地震から4か月が経ちました。避難経験のある方にも、ない方にもクイズを出しますのでお答えください。
「みなさんは避難所の食糧担当。被災から数時間。避難所には3000人が避難しているとの確かな情報が得られた。現時点で確保できた食糧は2000食。以降の見通しは、今のところなし。まず2000食を配りますか?」(矢守克也ほか「防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション」ナカニシヤ出版)
阪神大震災の経験を後世に伝えるためにつくられたゲーム「クロスロード」からの一問です。皆さんなら、こんなときにどのように判断しますか?
早く配らないと体力が消耗する一方。腹が減ると気も荒くなってきます。ところが、早々に配ってしまって、次が来なかったら困ります。かえって配ったことがあだになります。
だったら、けが人やお年寄りといった弱者にだけ配りますか。これなら納得しない人はいないはずです。でも、それを誰がどうやって判断しますか?
パンのように分けられるものなら、3000人に平等に行き渡るようにするという手があります。それにしても、どうやって配りますか。人数が多いので取りに来てもらいますか。
その場合、「家族の分をまとめて取りに来ました」「おじいちゃんが歩けないのでその分を下さい」と言われたら渡しますか。不足や配り忘れが出ると、それこそ大変なことになります。
こう考えていくと、いっそのこと知らんぷりをしているほうが手間やトラブルも省け、責任をかぶらなくてすみます。でも、配らなかったことで不測の事態が起こったら、逆に「なぜ、あるのに配らなかったんだ!」と責任追及をされてしまいます。考えれば考えるほど難しい問題です。
●問題とはジレンマに他ならない
僕たちは、常にこういったジレンマを抱えて生きています。
それは「やりたくても、できない」といったように自分の中にもありますが、「上司は○○しろというが、自分は△△したい」といったように、対人関係の中にもあります。それが大きくなったのが、組織や社会が抱えているさまざまな対立や紛争です。
多くの問題は一人では解決できず、たくさんの人の納得と協力が必要となります。人が違えば考え方も違います。そこにジレンマを生みだす大きな要因があります。問題解決とは、とてもヒューマンな行為なのです。
つまり、問題がなぜ解決しないかといえば、ジレンマがあるからです。アイデアがあっても、あちらを立てればこちらが立たずとなり、すべてを満たす解決策が見つからないのです。
そのジレンマを解剖して、みんなが満足する解決策を考えよう。そのための一連の手法を「対立解消アプローチ」と名づけることにします。
このアプローチは、今まで紹介してきたやり方とは大きく違い、ダイナミック(動的)な取り組みとなります。相互に影響し合う複数の要素が連結しており、全体を満たす解を見つけないと解決に至らないからです。今までとは違って、システム的な発想が求められる問題解決となります。
このアプローチが威力を発揮するのは、言うまでもなくジレンマやトレードオフがあるときです。
深刻な対立や利害関係がぶつかり合う際には心強い味方になってくれます。対象はモノでもコトでもヒトでもよいのですが、一番向いているのは、先ほどの事例のようなヒトがからむ問題です。
●意見の裏にある本当の欲求は何なのか?
ジレンマを含んだ問題の最もスタンダードな解決法を紹介しましょう。交渉や調停で用いられる対立解消法です。冒頭の事例を想像しながらお読みください。
まずは、互いの意見や主張を明らかにして、要求や得たい利益を明確にします。立ち位置をはっきりさせて、どこに対立があるかを特定します。イエス派は食料を配りたい、ノー派は配りたくないと。
実際の交渉では、相手に同意せずに理解することが大切です。互いに話をしっかり聞いて相手の背景を知り、相手の立場で理解するようにします。
次に、意見の裏にある本当の欲求や関心を探っていきます。なぜ、イエス派は一歩も譲れないのか。それは、落ち込んでいる被災者の方への思いやりかもしれません。あるいは、配らないと健康上の問題が発生するからかもしれません。
なぜノー派は配りたくないのか。本当の意図は、混乱や責任問題が発生することを避けようとする心理かもしれません。
そうやって、互いの主張の奥底にある、本当のこだわりや大切にしているものを見つけ出すようにします。一般的に、意見よりニーズのほうが普遍的であり、誰にも理解されやすく共感も得られやすくなります。
●共通の問題を見つけ出そう
その上で、問題を再設定します。配るか配らないかといった論点では折り合いがつきません。両者が共通で達成したいテーマを設定します。
ここで目指すのは、意見を両立させることではなく、双方のニーズを満たすことです。意見は相反していても、ニーズなら両立できるかもしれません。「どうやったら混乱を起こさずに社会的弱者に食料を届けられるか?」といったように。これなら、両者が折り合える新たなアイデアが出てくるかもしれません。こうやって、「解けない」問題を、「解ける」問題に転換するわけです。
ここまでくれば後はアイデアです。新たに設定した問題の解決策をブレーンストーミングしていきます。
配る・配らないというのは、問題解決の代替案の一つにすぎません。「被災者を信じて、自己申告した人にだけ配ろう」「被災者の中で医療関係の人を探し出して、その人が認めた人にだけ配ろう」といった、双方のニーズを満たす方法(建設的な提案)を考えていきます。
ここで大切なのは思い込みを緩めることです。「住民に任せると大変なことになる」「医療関係者がこの場にいるはずがない」といったものはすべて勝手な思い込みです。一般的にはそうであっても、そうでないかもしれません。
特に、こういう緊急事態が発生したときは、平時の常識は通用しません。当たり前や常識を疑うことで新たな解決策が見つかります。その中でベストな解決策を選びとるようにします。
●メンタルモデルが悪循環を生み出す
ジレンマの中にはやっかいなものがあります。相対している要素が循環構造になって抜け出せないというものです。
僕たちは、つい実際に見えている目の前の出来事にとらわれがちです。事実をとらえることは大切ですが、その裏にあるパターンやトレンドを見ることが、問題の本質を見つけるために欠かせません。どんなことが繰り返されているか、どんな傾向や変化が見て取れるかを考えるのです。
同じパターンが繰り返されるのは、それを引き起こす構造があるからです。構造的な問題がパターンやトレンドに影響を与えているのです。
その構造をつくりあげるもとになっているのがメンタルモデル、すなわち物事の前提となる考え方です。前提となっている信念や価値観、ひいては思い込みが問題をつくりあげているわけです。
それでは、今日も笑顔あふれる素敵な一日をお過ごしください!
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