「会社と人をキラリと光る存在に変える」

未来価値創造パートナー 渡邉敦です

 

「“まだ見ぬ未来に向けた価値創造” が
普遍に変わる喜びを50万人に伝える」

ミッションを掲げ

「自己実現した人にしか見えない風景の

創出に関わる」 

ビジョンを実現します

 

 

こんにちは。

 

今日は「自分らしい生き方」といった話をしてみます。

 

大谷翔平選手の結婚が話題ですが、一度は大リーグで彼が出場している試合を見に行こうね、などと家族とは話をしていますが、さすがにこの円安では、厳しいものがあります。残念ながらこの円安がしばらく続くことになるので当分、お預けですね。

 

そもそも、いま起きている円安の原因は、おもにアメリカと日本の金利差によるものです。日本はゼロ金利政策を続けています。日銀の総裁が変わりましたが、大規模な金融緩和策が維持されるようです。であれば、円安も残念ながら?当分続きます。

 

これは、日米の金利差が影響しているとお話しましたが、アメリカは生活費高騰に対処するため、金利を積極的に引き上げました。となると、金利が高いほうが、投資家にとってその国の通貨の魅力度は増すわけです。

 

もちろん、日本も金利を上げれば円安対策となりますが、金利を上げると今度は国内景気が悪化してしまいます。企業や個人が資金を借りにくくなり、経済活動が抑制され、経済成長が鈍化するからです。

 

円安によって生活必需品が高騰する方がまだましだという考えです。なぜなら、不景気のほうが社会不安は大きくなるからです、だから政府も日銀も金利を上げたくでも上げられないというジレンマな状態にある、というのが本音だと思います。

 

加えて、日本経済の実力不足も円安に拍車をかけています。市場というのは残酷なもので、日本経済の実力は通信簿のように円の為替レートで表されてしまいます。GDP(国内総生産)だけを見ると、日本は依然として世界第3位の経済大国です。

 

ですが、国民の総数で割った「国民一人あたりのGDP」は2022年時点で世界31位。実質経済成長率にいたっては世界168位という、日本経済は成長していないことが明らかなんです。がしかし、なかなかはっきりと政府は言わないので、僕たちもひどさ加減がわかっていないんだと思います。

 

さて、横道にそれてしまいましたが、ここからが今日の本題です。

 

「絶対的な基準を持てる人が強い」、これはトップアスリートとなるには、正しい情報を見定めることが必要であり、それができて結果を残しているアスリートは、絶対的な基準になるという意味でお伝えしたんですね。

 

大谷翔平選手にも絶対的な基準があり、結果を出しているわけですが、アスリートでもビジネスであっても政治であっても同じことは言えそうです。

 

みなさんは、「人間が生きた意味」を考えたことがありますか? 多くの人が一度は考えることだと思いますが、「自分の生きている意味はなんだろう」、言い換えれば、「自分が残せる価値ってなんだろう」といったことです。

 

ここでいう意味とか価値を定量化できるとすれば、「人間の生きた意味を数値で計測するとしたらどの基準がいいのか」と考えてみました。「もしも死後の世界で生きた価値順に並べられて、ランクが決まるとしたら、どういう基準に一番納得感があるか?」と思ったからです(妄想であることは理解していますが)。当然ながら、結構難しい話です。

 

まず、思いついたのは「人の感情を動かした度合いが高い順」というのに納得感がありそうです。たとえば、ミュージシャンで、人の心を動かした質と量(人数)が多い人はランクが高いということになります。

 

もちろん、人と人とのやり取りで、優しくすることや親切にすることで、相手の感情を動かしたら高くなります。

 

一方で、人の心を動かすことには、良くないことも含まれます。誹謗中傷をネットで繰り返している人とかもランクは高くなります。つまり、ざっくりいえば、「芸術家などのほうが有利」「マスメディアに出ている人のほうが有利」ということになってしまいます。

 

いってしまえば、この基準だと歴史上の有名人物である始皇帝やアインシュタインよりも、ビートルズが勝つことになるため、納得感がありません。

 

では、「どれだけ人の人生を変えたのか?」はどうでしょうか? これだと、おそらくスティーブ・ジョブズなどがかなり高くなります。コモディティ化された技術を生み出したり、イノベーションを生み出したりする人のランクがあがったりするわけです。

 

「どれだけ歴史を変えたのか」はいかがでしょうか? 歴史が変わったかどうか、というのは、変わる前後の比較が必要ですが、一定の歳月が過ぎないと判断ができません。織田信長がいてもいなくても今の日本と殆ど変わらないかもしれませんし、ものすごい変化があるかもしれません。そして、それでいったら、どんな人物でも、おそらく影響があるので、どのくらいの影響があったかを判断するのは難しそうです。

 

というわけで、僕の中では、結局どのパターンを考えても、良い絶対基準というものは生まれない、というのが結論です。

 

あれこれ考えて思ったことは、こういうのを考えても「人と比べたりランキングにしたりするのは、みなが納得すえる絶対基準を設けることは無理なもの」という結論になりますね。しかし、一方で、割と僕たちは、なんやかんやと人と比べたりするよなぁと思うわけです。

 

成果を出しているあの人よりも、自分は劣っている、とか、自分のほうが価値の高い人間だ、とか思ってしまったりするということです。

 

しかし、ある時期ではものすごい成功者だと思われていた人がダメになってしまったり、ホームレスだった人が成功をしたりすることもあります。ケンタッキーを作ったカーネル・ハーランド・サンダースは60歳になるまで大半がホームレスのような生活だった、とか。50歳くらいの彼を見たときには、多くの人が「彼よりは自分は価値のある人間だ」と思ったりするかもしれません。

 

長い人生の中の一部分だけで、自分の価値を高いと判断したり、低いと判断するのは、ほとんど意味がないのですが、それでもそれをやってしまう人は多いのでは? と思うんです。

 

そもそも「生きる意味」は、それぞれが幸せであれば生きる意味はあったとも言える曖昧なものです。ですので、「生きる意味や、生きた価値を人と比べたりするのは?」となるわけです。

 

人は、「絶対的な価値を見出すのは難しい」生き物です。「比較をしないと判断出来ない」と言い換えてもいいかもしれません。年収1億円の人の囲まれていると年収2000万円の人は惨めに感じるらしいです。ほぼ不自由ない生活でもそうなってしまうようです。

 

というわけで、僕らは、比較することでしか判断できないことが多い、と考えると「絶対的な基準がある人が強い」というのは、希少性が際立ちます。

 

他の人がなんていおうと、これが好きだ、とか、他の人がどうであろうと、今の自分が幸せだ、と思えるほど、幸福度が高くなるかもしれないとも思いました。逆にいうと、人と比べている以上、幸せには近づかないかも、とも思わけです。

 

僕としては、「人と比較しないで判断できるものをたくさん持つようにしよう」と最近思うようにしています。資産とか年収とか会社の規模とか、そういうものではなく、自分の中の尺度を持つ、ということです。

 

これがないと人生つまらなくなるんだろうなぁとも思っています。

 

 

それでは、今日も笑顔あふれる素敵な一日をお過ごしください!

 

頑張り屋のみなさんを応援しています!

 

「A&W コンサルティング」
 代表・中小企業診断士 
    渡邉 敦 (Atsushi WATANABE)

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