「会社と人をキラリと光る存在に変える」

未来価値創造パートナー 渡邉敦です

 

「“まだ見ぬ未来に向けた価値創造” が
普遍に変わる喜びを50万人に伝える」

ミッションを掲げ

「自己実現した人にしか見えない風景の

創出に関わる」 

ビジョンを実現します

 

 

 

こんにちは。

 

能登半島地震で過酷な生活を強いられているみなさん、どうか生きたいと思う気持ちを強く持ってくださいね。まだまだ、成し遂げられていない夢や希望がたくさんあるはずです。そんな思いを大切にしてください。

 

3連休の方もいらっしゃったのではないでしょうか?

金曜日の夜は、飲み会の企画も多かったと思います。

 

友人や同僚との久しぶりの飲み会であれば、リアルな飲みニケーションは仕事の潤滑油だ、とあらためて感じられたことかもしれません。

 

一方で、コロナ禍から価値観が変化し、体や精神的な健康のために、お酒を飲まない人も増えたといいます。ノンアルコールドリンクも様々な種類が楽しめるようになり、売上も増加したと聞きます。そういった販売に協力している人たちなのかもしれません。

 

そんなアルコールへの向き合い方が変わる災難が、僕に降りかかってきました。それは何かというと「痛風」です。ここ最近、体重を落とすために、ウォーキングをしたり、ジムで走ったりと、かなりの汗を書かく日が続きました。

 

しかし、水分摂取量が少なかったせいか、「痛風」になってしまったんです。左足の甲の部分が少し痛むので「走りすぎたかも」と思って、シップを貼っていたんですが、むしろ熱を帯びて、「あれ?何か違うぞ」と異変を感じた頃には、靴を履くにも甲が痛くて履けない状態にまでなっていました。

 

「痛風」という魔物は、ビールや魚卵や肝などに多く含まれるプリンタ体が体外に排出されず、残る量が多くなると発症すると言われています。いわゆる「尿酸値」が高くなることで襲ってくるようです。

 

ただし、僕のように激しい運動をして、体内の水分量が減ることでも起こるそうです。どうかみなさんも、適度な運動量とこまめな水分補給は、どこでどう体に支障をきたすかわかりませんので日ごろから習慣にされた方がよいと思います。そうしないと、僕みたく、ぞうさんの足のように左足は膨れ上がり、何かに触れると激痛が走るため、引きずって歩くようになってしまいますから。

 

とはいえ、居酒屋に行けば1杯目のビールはやめられません、という方も多いと思います。ジョッキを口から離した直後に「んあーっ!」と声を上げてしまう爽快感がなんとも言えない満足感があるからです。しかし、2杯目のビールのうまさは、1杯目を超えることがないというのも実感があるのではないでしょうか。

 

実はこれ、ミクロ経済学では、「限界効用逓減の法則」という法則として成り立っている現象なんですね。

 

簡単に言えば「限界効用」とは、消費財1つ(ビールの例では1杯のビール)の効用、つまり満足度を表し、消費財が増えるごとに、消費財1つで得られる満足度は減っていく、というものです。

 

つまり、1杯目よりも2杯目のビール、3杯目のビール・・・とジョッキの数が増えるごとに、満足度は減っていき、10杯目ともなるともはや苦痛となります(さらに痛風発症に近づくかもしれません)

 

実は、この法則は、日常生活で広く当てはめることができます。例えば車を持っていない人が車を買うとします。1台目を買った時はうれしく満足度は高いのに、2台目を買ってもその満足度は1台目ほどではありません。

 

初めて愛車を手に入れた喜びは大きいはずですが、人間は残念ながら、どんなに欲していたものでも「飽きる(あきる)」生物だからです。

 

ビジネスでも同じです。例えば

自分の作業を延々と同じ方法で続けていくのは飽きがきますよね。また一つの取引先に対して同じ提案をし続けるといったようなことは、ともすれば“10杯目のビール”になっているかもしれません。

 

「たまにはビールの後にワインを飲みたい」というようなビジネス上のニーズに気付くのに、この法則が役に立つかもしれません。

 

食欲や睡眠欲もある程度充足すれば満足感は得られるものですが、いくらあっても満足感が得られないのが「お金に対する欲求」です。金銭欲はなぜ収まりづらいのでしょうか??

 

というわけで、今日は「お金では買えない価値観の大切さ」といった話をしてみます。

 

お金には「限界効用逓減の法則」が当てはまらないんですね。具体的にいうと、例えばどんなに好きな食べ物でも、ある程度食べてお腹が膨らんだらもういらないとなります、どんなにお酒が好きな人でも見るのも嫌になるはずです。

 

ところが、お金だけは違います。

 

100万円を手に入れたら次は1000万円がほしいと思、そして、1000万円手に入れたら今度は1億円がほしいと思う、欲望に際限がない、つまり「限界効用が逓減」しないんです。

 

これがお金の怖いところで、一種麻薬に似ています。どんどんエスカレートして、それがないと不安になり、けっして満ち足りるということがありません。

 

お金とは「人と人との関係」を具現化したもの

いま ボールペンをたくさん持っているとします。コーラが1本ほしいので、ボールペン2本と交換してほしい

と交渉し、成立したとします。

 

今度はスマートフォンがほしいとします。スマートフォンは価値が高いのでボールペン100本と交換してくれと交渉します。しかし相手はボールペン100本も必要ないからダメだとなります。ならばボールペン50本とコーラ25本ならどうかと交渉します。

 

こういった感じで、商品の交換だと、かなりやりとりが面倒なことになります。そこで、誰もが共通に価値があると認めるものを媒介させて交換しようとなりました。

 

例えば、かつての日本ではそれがお米でした。いったん米に換えることで、後からほかのものにいくらでも交換できました。これを「資本論」では「一般的等価物」と呼んだりしています。

 

ただし、米はかさばり、時間とともに劣化します。そこでそれに代わる「一般的等価物」として、金や銀などの貨幣が生まれ、やがて紙幣になっていきました。

 

お金というのは商品の交換の際に、必然的に生じてきたものであり、人と人との関係とその概念がモノになって具現化したものです。

 

資本主義の世の中は すべてを商品化する方向に動きます。最終的には人間の命さえお金に換算してしまうような世の中であればこそ、お金だけが信用できるとひたすら蓄財に励む人が現れてもおかしくありません。

 

100万円手に入れたら1000万、1000万円手に入れたら1億円といった感じで、際限のないお金への執着の連鎖が始まるわけです。

 

お金とは人と人との関係がつくり出した人工物であるがゆえに、また人々の幻想と欲望を反映したものであるがゆえに、価値が一気に膨らむこともあれば、まったくのゼロになることだってあります。

 

この怖さは頭の隅に入れておくことは必要ではないでしょうか?痛風になって思うことは、お金では買えられない価値観(健康な体)の大切さにあらためて気づかされ、こんな話をしてみました。

 

 

それでは、今日も笑顔あふれる素敵な一日をお過ごしください!

 

頑張り屋のみなさんを応援しています!

 

 

「A&W コンサルティング」
 代表・中小企業診断士 
    渡邉 敦 (Atsushi WATANABE)

Mail: info@aw-consulting-office.com