こんにちは。
能登半島地震で過酷な生活を強いられているみなさん、どうか生きたいと思う気持ちを強く持ってくださいね。まだまだ、成し遂げられていない夢や希望がたくさんあるはずです。そんな思いを大切にしてください。
ブログの更新が遅れてしまいました。珍しく体調が悪くて・・・といっても僕ではなく、義母なんです。
というのも、昨日、茨城県の大洗に家族で来ていたのですが、85歳の義母が段差で足を踏み外し、水戸市内の休日夜間病院で診察→水戸市内の病院で診察・治療となりました。
幸い、骨には異常はなく、脱臼でした。ただ、年配者が脱臼の治療を受けるのは、さすがに大変でした。まぁ、頭を打たなかった、骨折しなかった、のは跡奇かもしれません。水戸を出るころには20時になり、自宅に着いたのは22時近くで、さすがにこの2日間は、ちょっとしんどかったですね。
さて、今日は、「奇跡は努力しない人には起きない」といった話をしてみます。
パリ五輪シングルス代表男女各2枠の最終選考の対象となる一般の部のシングルスで、女子は平野美宇さんが準々決勝に進出し、伊藤美誠さんが6回戦で敗れたため、平野さんが女子2枠目を確実とした。
残念ですが伊藤さんには「奇跡」は起きませんでした。
ところでこの奇跡とは、どのくらいの難易度を指しているのでしょうか?奇跡とは、通常では起こらないとても珍しい出来事を意味します。
確率的に考えるなら。ほとんどありえない事象です。
会社でもよくあります。
「あのお客様から受注できれば奇跡です」
「この課題を解決するのはほとんど奇跡に等しいです」
「奇跡でも起こらない限り下半期も目標達成は無理です」
こんな言い方をする部下はいませんか?ひょっとしたら、みなさんも、よく奇跡を無意識に使っている方でしょうか?
大抵は、奇跡=難易度が高い=誰もできない、だから自分も無理
そんな言い訳のために、「奇跡」という枕詞とつけて、まわりや上司の理解を得よう。そんな思いが見え隠れする「奇跡」を幾度となく社内では聞いています。
どのくらい困難なことなのか、詳しくはわからないまま、感覚で納得してしまう人も多いと思います。どのくらい困難なのかを冷静に考えて部下の意見を聞きます。
「あのお客様から受注するには何と何のアプローチが必要か洗い出して欲しい」
「そのアプローチうまくいくにはどういった条件が整えばいいのか考えて欲しい」
「条件とは 取巻く環境、担当者の能力、営業活動などの面で必要とされることです」
「同様に他社で似たような条件のところに営業した場合 どのくらいの確率で受注できて
いるのか実績をみて欲しい」
このようにオーダーします。
すると他社での実績は10社中1社で受注できていたとすると10%の確率になります。そこにその会社の特殊要因(資金面や社風など)の%をはじいて、10%にかけ合わせます。
そうするとその会社から受注できる確率が大雑把ですが出てきます。
宝くじに当選する1000万分の1より、はるかに高い確率で受注できることがわかります。ですから宝くじに当たることを「奇跡」と呼ぶのなら、到底「奇跡」とは言えないことがわかり。ます
人は確率的に考えるのが苦手
こんなふうに僕たちは、直感や思考のバイアスにより、確率を過大評価しがちになります。
そこから逃れるには、このように実際に計算してみるしかありません。そうやって自分の確率感覚に較正をかけます。
みなさんも「奇跡」にバイアスをかけていることがあります。よくテレビで見るショッピングです。「このサプリメントを使えば、80%の人は奇跡的に膝の痛みが良くなります」
思わず飛びつきたくなりますが、よく考えるとこのサプリメントを使わなくても良くなった人もいるはずです。仮にそういった人が70%いたとしたら、このサプリメントの効果は決して高いとは言えません。
「サプリメントは効き目がある」という典型例の確率を過大評価しています。
さて、今日は「奇跡」が奇跡ではないことをお伝えしましたが、みなさも、「奇跡」を裏付けるだけの数的根拠があるのか考えてみることから始めてはいかがでしょうか。
それでは、今日も笑顔あふれる素敵な一日をお過ごしください!
頑張り屋のみなさんを応援しています!