【一寸先は闇】
昨日の夕方、外を歩いていたら、車と自転車の交通事故がありました。
まず僕が歩く先からけっこうなスピードで車が走ってきたんです。
その車には運転手の女性しか乗っていないのに、僕はその女性が、車内で大きく口を開けて笑っているのを見ました。
両手はハンドルを握っていたので、多分スマホをスピーカーにして電話でもしているんじゃないかと直感的に思ったんですよね。
その女性は60歳前後に見えたので、加齢とともに判断能力が低下するという意味で、全体的に【なんか危ないなあ】と思いました。
そしてその車が僕の目の前を通り過ぎた直後、僕のすぐ背後で、ガシャーンという大きな音がして。
振り返ると、その車の先に中学生ぐらいの女の子が倒れていました。
そしてその横にはぐしゃぐしゃになった自転車。
間違いなく、その車がその女の子をはねた様子でした。
驚いて正直よく覚えていませんが、僕はすぐにその女の子のもとに駆け寄ると、その子は幸い外傷はない状態(すりむいた程度)で、意識もしっかりしていてすでに自力で上半身を起こしかけていたところでした。
でも服にはガラスの破片が無数についていて、ぶつかった車を見るとフロントガラスは割れていて、周りにはガラスも飛んでいて。
フロントも凹みナンバープレートもひしゃげていたので、けっこうな衝撃があったことは間違い無いです。
人通りが多いところだったので、僕の他にも数人が女の子の元に寄ってきてくれて、自転車をどかしたり、救急車や警察を呼んだり、手分けしてできたのでまだよかったのですが…。
…というかですね、そこは【人通りが多い】んですよ。
どんなにその女の子が脇見していたか、どこかの脇からふっと道に入ってきていたとしても、その道はすでに他にも人がそこそこ出歩いているところなんだし、そもそもそこを通る車なら必ずスピードを落として注意をしなきゃいけないところ。
つまり何が言いたいかというと、どう考えてもこの車の方が悪い。
でもですね、いまだにどうしても心に残っているのが、はねられた女の子の第一声。
僕が一番に駆け寄り、大丈夫かどうか声をかけたらその子は、はねられれたにも関わらず【大丈夫です、大丈夫です。あの…なんかすみません】って言ったんですよね。
人間ってこういうとき、気が動転しているのはもちろん加味して、自分は一切悪くなくても助けてくれようとする人に対して【すみません】って想ってしまうんですよね。
僕の母もかつて事故に遭ったことがあります。
命に別状はありませんでしたが、この女の子と同じように自転車に乗っていたところを車にはねられて、即病院に運ばれて脚を手術して、そのまま4ヶ月入院しました。
(ちなみにその入院の間に僕の娘が産まれたので、母からしたら孫の新生児時期に一切触れることもがきなかったことになります…残念なことです。)
なおこの母の事件は、免許取得後2ヶ月の大学生の運転する車が一時不停止を無視して法定速度20kmオーバーで突っ込んできたものなので(なんなら初心者マークの添付もなし)、完全に相手が悪かったんですけどね。
で、そのとき母も、事故に遭って道で倒れこんでいたとき助けに集まってくれた通行人に対して【大丈夫ですので。すみません、すみません】って言っていたらしいんですね。
脚は激痛で、立てもせず涙を流しながら。
その話を聞いたとき僕は【自分は悪くないんだから、そんな発言しちゃだめでしょ、悪い相手だったらつけ込まれちゃうよ】と母に言ったものの。
でも【これが人間というものなのか】と今、改めて思います。
自分は全く悪くなくても、自分のために時間を割き助けに来てくれる人に、申し訳ないと思ってしまうって。
僕も多少は人の心が通っていますので(一応ね🙄)、もし自分がこの立場でももしかしたらそう思うのかな、なんて思うこともさすがにあります。
その女の子がどうとか、母がどうとかじゃなくてね。
落ち度もなく真面目に生きている人が不運にも事故に巻き込まれ被害に遭い、それでも瞬間的にはそのとき申し訳なく思うということが、なんとも言えず感傷的なんです。
こういう事故のような理不尽な運命の巡り合わせは、どういう意図があり実現されているんでしょうね。
この世の中にはもっと目をふさぎたくなるような悲劇がありますが、それらにも何か意図があるのだろうかと、ふと考えてしまいます。
とにかく今日の女の子が、見た限りでは無事そうでよかった。
世の中から事故が少しでも減ることを祈ります🙏
***本日もお読みいただきありがとうございました***