私が店を継ぐまで③-大将の決断- | 浅草‘オカミハウスTokyo’女将の日記

私が店を継ぐまで③-大将の決断-

女将さんがお亡くなりになられてから3日後、告別式は桐ヶ谷斎場にて、生前のご意向でごく親しい方々のみで執り行われました。

生前の女将さんのお人柄が表れる告別式となりました。




そして告別式の次の日、仕事終了後にいつもと変わらず「寿司おさむ」へ向かいました。


私が普通通りに食事をしていると、突如何やら...

大将:「一人だとどうにもならないから、店をたたもうと思ってる」

私:「(絶句).....」「そう...」

いつも寡黙であまり喋らない大将ではありましたが、朴訥に、その日も言葉を選び慎重に話していました。




しばらく重い空気が流れましたので、リラックスしてもらおうと(少々無理矢理)ビールを飲んでいただきました。
そうすると、重い空気もだんだん薄らいできて、一人で生活していていろいろ困っていたのでしょう、堰を切ったように大将からいろいろ質問が出てきました。
洗濯機の回し方がわからなかったようで、洗濯の仕方を教えてあげたり、日常生活についての質問がほとんどでした。



軽めに食事を済ませ店をあとにしましたが、大将の決断を聞き動揺した心は収まらず、はしご酒となった日でもありました。

<「店をたたむ」と言い出したこと、今思えば急に一人になり寂しかったし、困っていたのだと思います>





約一週間が過ぎた頃でしょうか。
お店が忙しそうな日は洗い物やお茶出しなどをお手伝いしていましたが、自宅リビングにて夕食を共にした母に大将の決断内容を話しました。

私:「一人では大変みたいで、お店たたもうと思ってるみたい。この前は洗い物とかは手伝ったけど。」

母:「あら。それだったらそのままあっちゃんが手伝ってあげたら?!」

(少々端折ってます)



当時私は約11年勤務したアパレル会社を辞めたばかり。
自分で設定したリフレッシュ期間が終わりに差し掛かる時期ではありましたが、まさかの母の言葉にびっくりしました。



それから私は自問自答の日々。
<私に何かできるだろうか>
<私が辛かった時、大将と女将さんに何度となく助けられたよなぁ...>


.....‼️
「何度となく助けられた」のであれば、今度は私が恩返しする番ではないか。。

そう思いました。





母と話した翌日。
「寿司おさむ」に出向きました。
母と話した内容をお伝えするために。。


私:「先日の話しだけど...やはりお店たたむの?もし私でよかったら手伝いましょうか?」

大将:「一緒に居てくれないか?」


すわ、プロポーズ...⁉️
<言われた瞬間そう思いました(笑)思わず「えっ???」と聞き直したくらいでした(笑)>



私:「このお店で、女将さんがやっていた仕事を引き継げはよいよね?その他の要求は受けつけられないけど...」
「それでよかったら明日からお手伝いします」

<後日談ですが、「プロポーズ的なものは一切口にしてない!」と断固言われました(笑)もちろん、言われていたとしても、私はイエスを言えませんでしたが(笑)>






そして、私は次の日からお店に立ちました。
ご常連のお客様はびっくりした事でしょう、カウンターに座っていた私が、いきなりサービスする
側に居るのですから。
それでいて多くを語らない大将、噂や憶測を生むのは当然な環境にお店が変化してしまっていました。



ある日、割烹着姿でご近所スーパーに買物に行きました。
すると通り様にあまり良くない雰囲気の視線を感じました。

<「目は口ほどにモノを言う」とはこういう事なのだと実感しました>



そこで、初めて気付きました。
「あっ。私は噂の対象になっているのだ!」と。。



店に戻り大将にはすぐ報告しました。

そうすると...

大将:「(ご常連さんの)◯◯さんがきのう来て言ってきたよ、あっちゃんが手伝っているの?って。」
「だから、そうですと答えたよ」




この出来事の他、当時はいろいろ物議を醸していたと思います。

御来店のお客様からも「言いたいけど言えない」「聞きたいけど聞けない」という雰囲気をかなり感じました。
中には「二人は結婚するの?」と言い出す方まで。。

いろいろな情報が錯綜し、心配してくださっていたのだと思います。




それからはご質問等に対して大将と私は否定する日々が続き、正直私は店に立つのが怖くなってしまっていました。

多少波風は立つのは覚悟の上でしたが、想像以上の状況が押し寄せ...
すごく辛かったし苦しかったです。





そんな日々が続き、三ヶ月が過ぎたある日。
夕食を共にした母に再び相談をしました。

すると...

母:「もう(誰とも)結婚する気、無いんでしょ?それだったら、私も嫁に出したって割り切るから、修さんの娘となって(寿司おさむを)切り盛りしたら?」


母は私の苦しい思いに気付いていたのでしょうか...?
一瞬「?!」と思いました。
でも、私の目の前の母親は今確かに「おさむさんの養女になり、娘となって店を切り盛りしろと言っていた」と。
若干頭は混乱気味でしたが、「明日おさむさんに聞いてみるね」と返答しただけにとどまりました。





次の日、母の助言に少々消化不良気味ではありましたが、大将にそのまま伝えました。
すると「それは有りだね」との返答。

大将:「娘だったら、もう誰も何も言えなくなるだろう」




そして、女将さんが亡くなった半年後の2013年1月31日、区役所に行き養子縁組の手続きを経て、私は大将の養女になりました。

全ては店の存続の為に。
「寿司おさむ」の味を絶やさない為に。。




④に続きます。

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寿司おさむ  港区白金1-25-23