わたしたち人間が
気づいているところであれ
気づかないところであれ
緊張が自分の中にあるのは
どんな瞬間であれ
なにかしら今ではないところに
自然と気がいってしまうというのは
あるかもしれないなと思います。
菜穂さんのオフィシャルブログでの
感想から感じたのが
プライベートトークという
個人セッションのような空間に
身を置いた時。
その時その瞬間の
そこに来た人それぞれが
その時に現れているその人で
そのままいられる。
というのも
なかなか他のところでは
ないのかもしれないな、と思いました。
本来の自分とか
ありのままとか
本当には関係なく
自分らしくいられていても
こんなの自分じゃない!と感じていても
素直さがあっても
何かを偽ってたとしても
いい感じであっても
もうダメかもとなっていても
その時に
どんなその人だったとしても関係なく
その時の
その人が
そのままいられる空間。
言葉や思考的なことは関係なく
「ここでは何も隠す必要がないんだ」
という体感が
自分の中から自然に出てきた時
なんとも言えない安堵感というか。
そういう体感を
繰り返し
菜穂さんのセッションの場に行くほどに
感じてる人は
多いのかもしれないです。
今ではないどこかに
たえず向かい続けている(らしい)
わたしたち人間というのは
当たり前に
みんながみんな
(個人的も同じく)
緊張の中にいることを
自分で自覚してる範囲以外も
常にその中にいることを
知る機会は
普通ないんだなぁと
なんだか
こんな
感じになっちゃいました。
って、そればかりじゃなく
喜びや
ゆるむ瞬間もあるけどね!
ちょっとフォローいれてみた
(はい、これがわたしのオブラート?)