桜川市、筑西市、結城市
これらの市の北側は栃木県です
今回
いきなり笠間駅周辺ではなく
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/72/70/j/o0810108014805088157.jpg?caw=800)
この町がすき
石のまち 稲田
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/99/09/j/o1080081014805088165.jpg?caw=800)
JR 稲田駅
水戸線 (友部駅 ↔ 小山駅) で
笠間駅の隣駅 (西側) です
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/e2/b0/j/o1080081014805088172.jpg?caw=800)
JR 稲田駅 外観
ロータリーにも石のオブジェ
駅前には
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/fe/0b/j/o1080081014805088178.jpg?caw=800)
石の百年館 外観
石の立派な建物です
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/46/44/j/o0810108014805088185.jpg?caw=800)
石の百年館 館内
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200817/06/atsuom/8e/6f/j/o1078108014805381408.jpg?caw=800)
稲田の花崗岩
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/ba/83/j/o0810108014805088191.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/b2/74/j/o0810108014805088195.jpg?caw=800)
稲田の花崗岩は
『稲田石』というブランド石
約6000万年に
マグマが固まりできたそうです
際立った白さが特徴で
白御影石とも呼ばれています
御影石はごま塩のような模様は
石英(薄い灰色)、黒雲母(黒色)
長石(白色)の三つの鉱物で
稲田石は長石が60%占めており
白く美しい色調になります
稲田石は
美しい光沢と耐久性を兼ね備え
建材や墓石に幅広く使われ
特筆すべきなのは
国会議事堂、最高裁判所
旧東京駅、国立代々木競技場
第一生命ビル、三菱銀行本店
茨城県庁舎などで
稲田石が使われています
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200816/16/atsuom/31/5e/j/o1080081014805089162.jpg?caw=800)
9時~16時
300円で見学できます
次いで
常陸国 出雲大社へ
鎌倉時代
この地域では
寺院同士の争いが絶えず
下野国守護 宇都宮頼綱が
笠間時朝を送った
笠間時朝は山麓に城を築き
以降、笠間氏は18代続いた
笠間城は笠間氏の居城でした
戦国時代は宇都宮氏の傘下で
同じ宇都宮氏の下の益子氏と
小競り合いしたのが
散見されるくらいです
1590年 (小田原の征伐の年) で
笠間氏は滅びました
滅んだ原因は諸説あるも
後北条氏に付いていたとの説は
現在は否定的で
笠間氏が
生意気だと感じるようになった
宇都宮氏に滅ぼされた
という説が有力だそうです
戦国時代の笠間氏は
益子氏との
「焼き物ご当地対決」
(勝手に名付けました💦)くらい
同じ常陸の小田氏と違い
城を奪われ、奪い返すとか
あまりなかったのは
山頂に城があったからか
やっぱり小田氏も
筑波山に
城を築けば良かったのに…
やがて江戸時代には
笠間藩の藩庁が置かれました
そして
江戸時代から明治となり
明治4年 (1868年) に
笠間城は廃城となりました
近世まで使われた山城は
珍しいのだそうです
お土産屋さん、飲食店が並び
笠間いなり (いなり寿司) と
常陸秋そばの店が
多く見られました
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200810/22/atsuom/c2/38/j/o0570108014802181039.jpg?caw=800)
・稲田石の石切山脈
・常陸国 出雲大社
・笠間城跡
・笠間稲荷神社
でした
今回もお付き合いいただき
ありがとうございました
おわり