茨城県 (常総市・下妻市・結城市・筑西市・桜川市) | MAM ・ MOM ー TAT・ TOT

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茨城県

常総市・下妻市・結城市・

筑西市・桜川市




今回は . . .
茨城県 西部を中心に


まずは
常磐道  谷和原IC (黄色い丸) から

国道294号線を北側に

約30km,  40~50分で

下妻市へ行けますが

しかし、その途中

茨城県常総市があります
茨城県常総市は赤線内

茨城県  常総市

常磐道  谷和原IC から

国道294号線を北側へ

国道294号線に沿うように

関東鉄道  常総線が走ります

(常磐線ではない)

地理的に

国道294号線と常総線は

鬼怒川 (左側) と小貝川 (右側)

に挟まれており

2015年の関東・東北豪雨で

鬼怒川が決壊したのが

常総市三坂町 (みさかまち) です

鬼怒川 (左側) と小貝川 (右側)

に挟まれた三坂町の辺りは

鬼怒川が蛇行しています



小貝川の近くに

豊田城跡があります

豊田城は豊田氏の居城くらいで

これという歴史的出来事もなく

ただ、すぐ北側にいる

下妻の多賀谷氏の攻撃を恐れ

何かあったら守ってくれるよう

小田氏治の傘下にいたそうで

でも、豊田氏は家臣に毒殺され

豊田氏は滅亡したとか

そのくらいしかみつけられず

豊田城跡へも行ってません




さて

豊田城は天守閣のない

茅葺きの居館でしたが


高さ48mほどの

天守閣をモチーフにした

立派な建物💦

ここは小貝川沿いにある

豊田城跡とは別の場所です 

常総線  石下駅と国道294号線の

ちょうど中間の辺り

石下駅からは徒歩10分の場所に

1989年から着工

3年間かけて1992年に竣工

総事業費21億円ともされている

石下町が建設した模擬天守

建設の計画中に

「豊田城は平城で

天守閣もなかった城です💦」

「構う事はない!

地域のシンボルにするんだから

派手に作っちゃおうよ」

こんなやり取りがなかったかと

想像してしまう程

立派な天守閣です

常総市 地域交流センター  (豊田城)

常総市の観光拠点

最上階の7階が展望室

6階  銅像の長塚節の展示

下の階には

多目的ホールや図書館

洪水被害の展示もあるそうです


長塚節は小説『土』の作者

茨城県鬼怒川沿いの農村が舞台

貧農一家と農村の自然を描いた

作品なのだそうです



さて
ようこそ花のまち下妻市へ

JR 下妻駅

多賀谷城址公園

市指定文化財

史跡 多賀谷城本丸跡

(旧名  下妻城)

下妻城は

多賀谷氏の居城であり

地元では多賀谷城とも称される

初代  古河公方  足利成氏と

関東管領  上杉憲忠は対立

結城成朝が足利成氏から

上杉憲忠 討伐の命をうける

結城成朝の家臣  多賀谷氏家は 

関東管領  上杉憲忠を殺害

関東管領  上杉憲忠  殺害が

『享徳の乱』のきっかけとなり

関東戦国時代の始まりとなる

戦国時代の多賀谷氏は

主に佐竹氏の配下にいて

小田氏、結城氏とは

付いたり、離れたりだった

江戸時代には

佐竹氏を頼り秋田へ移った

多賀谷氏遺跡碑とあります

園内はまあ普通の広い公園です



次いで
茨城県下妻市から

茨城県結城市へ

結城駅 北口
駅ロータリーに立派な建物が

観光案内所が入っています

『ゆうき』と大きく書かれた

結城紬 (ゆうきつむぎ)

結城紬は絹織物で

茨城県結城市、栃木県小山市

で生産される

伝統工芸品です

結城紬は

ユネスコ無形文化遺産に

登録されています

結城駅の割と近くに

結城歴史公園 (結城城跡) があり

行ってみました

城跡公園

結城城跡

結城城といえば

永享11年  (1439年)

4代 鎌倉公方 足利持氏と

関東管領 上杉憲実の対立から

室町幕府 6代将軍 足利義教が

4代 鎌倉公方 足利持氏を

討伐させた

(永享の乱)

永享の乱から

翌年の永享12年 (1440年)

将軍 足利義教は

討伐した持氏の実子を

鎌倉公方に任命しようとした

ところが

室町幕府と

関東管領上杉氏に反発する

結城氏朝・持朝は

足利持氏の遺児

(春王丸・安王丸) を連れて

結城城に1年も籠城して抵抗

これも幕府と

関東管領 上杉氏に鎮圧され

結城城は落城した

(結城合戦)

ちなみに

4代  鎌倉公方  足利持氏の息子

長男  足利義久は

永享の乱の際に自害

春王丸・安王丸は次男、三男

この二人は結城合戦で

幕府に反発したとみなされ

将軍  足利義教の命で

12歳、11歳で殺害された

同時幼少だった四男  永寿丸は

何とか生き残り

8代将軍  足利義成に

鎌倉公方に任命される

義成から「成」をもらい

足利成氏に改名された

足利成氏は鎌倉公方の在任中

後に『古河公方』となる




戦国時代の後半には

古河公方の勢力は衰え

関東では

後北条氏が勢力を伸ばすも

1590年

豊臣秀吉の小田原の征伐で

後北条氏は滅亡

結城氏も

豊臣側で参陣して功績を挙げた

この功が認められ

結城氏への養子として

徳川家康の次男で

豊臣秀吉の養子になった

羽柴秀康が

改めて結城氏の養子となり

羽柴秀康 → 結城秀康となった

関ヶ原の戦い以降

結城秀康は越前国へ移封となる



結城城の文章が刻まれてますが

よく見えませんでした

結城合戦タイムカプセル

埋設記念碑

結城城 本丸跡

結城城跡からの景色



次いで
健田須田神社

健田須田神社 鳥居

健田須田神社 拝殿

『この地域が平和でありますように』

次いで
結城市から

筑西市  下館駅へ

JR  下館駅

駅に停車してるのはJR 水戸線

(栃木県小山駅 ↔ 茨城県友部駅)

画像で小さいですが

守谷・水海道・下妻方面

とあるのは

関東鉄道  常総線  下館駅

(常総線:取手駅 ↔ 下館駅)

つまり、下館駅は

赤:筑西市  下館駅
青:水戸線
緑:常総線
黄色:真岡鐵道

真岡鐵道?

真岡鐵道 (もおかてつどう) は

下館駅 ↔ 茂木駅  で運行

真岡鐵道は何と言っても

『SLもおか』が有名です

(観光用 蒸気機関車)

土曜日、日曜日、祝日に

下館-茂木間を

1日1往復しています

今回『SL  もおか』には

乗ってもないですし

見てすらいませんが..

鉄道ファンにとっては

下館駅は大切な駅の一つかと
下館駅は筑西市(ちくせいし)


筑西市と言えば

道の駅 グランテラス筑西



2019年7月オープン

まだ新しい「道の駅」

中央には芝生の広場が
芝生広場

イベントを行うステージ

この建物は

フードコートから

地元野菜や土産品まで

下館ラーメンが目に止まります

地元フリーペーパーの

センターも下館ラーメン

下館ラーメンいただきました

比較的空いてるフードコートで

外の広場を眺めながら

下館ラーメンをすする

汗だくのまま外に出て

茨城メロンサイダーで

クールダウン

筑西市マスコットキャラクター

「ちっくん」ハンドタオルを

お土産にしました



次いで
下館駅 から 真壁城跡  へ


この建物は

真壁伝承館

茨城県桜川市真壁町にあります

真壁陣屋の遺構

陣屋跡地に建てられました

裏側からみた真壁伝承館

真壁図書館、まかべホール

あと歴史資料館が入っています

歴史資料館

真壁伝承館 歴史資料館 入口

真壁城は

平安時代からの真壁氏の居城

戦国時代

小田氏の配下だったが

真壁久幹が佐竹氏に離反

佐竹氏と共に小田氏を攻めた

手這坂の戦いでは

小田氏に大打撃を与えて

小田氏を小田城から追い出した

戦場で金砕棒を振り回し

戦場を駆け回っていた事から

『鬼真壁』と渾名されていた

真壁城とその周辺図

国指定史跡 真壁城跡

真壁城 本丸

真壁城跡から

周辺の山々が

よく見えました

(曇り空☁がやや残念)

真壁城跡から見える山は

加波山という山でした

堀と土累の緑と

山の景色がきれいでした






最後は
結城酒造

土産で購入した

結城市の日本酒  結 (ゆい)

ラベルのデザインは

輪が結城紬の『糸』で

輪の中心に吉がくる

人と人、人と酒を結ぶ

幸福 (吉) が訪れるようにという

デザインなのだとか



スッキリと

美味しい日本酒でした









・常総市  地域交流センター
・下妻市  多賀谷城跡
・結城市  結城城跡
・筑西市  グランテラス筑西
・桜川市  真壁伝承館

でした







今回もお付き合いいただき

ありがとうございました









おわり