4/25(木)藝大フィル定期演奏会
サハラです、こんにちは!
淡いピンクの桜に心癒される毎日です‥
さて、コンサートのお知らせです
藝大フィルハーモニア管弦楽団 定期演奏会(藝大定期第421回)
2024年 4/25(木)19:00開演
東京藝大構内奏楽堂
指揮:高関 健
■曲目
ショスタコーヴィチ:交響曲15番 イ長調 op.141
Dmitry Dmitrievich Shostakovich (1906-1975) :Symphony No.15 in A major op.141
ニールセン:交響曲6番 ≪素朴な交響曲≫
Carl August Nielsen (1865-1931) :Symphony No.6 `Sinfonia semplice′
2つの「最後の交響曲」。これは辿りついた答えなのか、あるいは、新たな問い、なのか。
■ご挨拶
今回の藝大フィルハーモニア管弦楽団定期演奏会では、2人の交響曲作曲家が20世紀に書いた2つの「最後の交響曲」を採りあげます。 交響曲作曲家が残した最後の交響曲というと、どのようなイメージがありますでしょうか。たとえば、技術的にもサイズ的にもそれまでの総決算のような作品。モーツァルトの第41番『ジュピター』やベートーヴェンの『第九』には、最後の作品だからこそなしえたというような、カタルシスがあります。シベリウスの場合は単一楽章である第7番のなかに、音楽性を凝縮させました。 あるいは、近づいて来る「死」が意識された作品。もちろん「死」に対する考えはひとによって異なりますが、ブルックナーやマーラー、チャイコフスキーらの交響曲は死と関連付けられて語られることが多いでしょう。 いま名前をあげた6人の作曲家に関わらず、ハイドン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ドヴォルザークなど、やはり多くの作曲家にとって「最後の交響曲」は、まさに「有終の美」であるという、そのようなイメージがあるのではないでしょうか。しかし、ニールセンとショスタコーヴィチの「最後の交響曲」は、そのような図式に当てはめるのがむずかしい作品かもしれません。彼らが最後に遺したものは、人生の最後に辿りついた答えだったのでしょうか。あるいは、新しい問い、なのでしょうか。 そうしたことにも思いを馳せながら、互いに新たなステージを歩み始めている高関健と藝大フィルによる、生ではなかなか聴くことのできない渾身のプログラムをぜひ奏楽堂でご堪能ください。
詳しくはこちらをご覧ください。
***************
今回は、2人の交響曲作曲家が20世紀に書いた2つの「最後の交響曲」。
どちらも弾いたことないや大変だ
と思っていたら、
ショスタコーヴィチの交響曲第15番は、
アンサンブル金沢の2022年2/17の定期演奏会
で、サハラも演奏していた模様‥。
恐るべしこの記憶力‥。
そして、スコア(総譜)まで持っていた‥。
「いつも新鮮でいいね」て
よく言われます
ショスタコの15番シンフォニー、めちゃ面白い曲です。これは間違いなくエキサイティングなコンサートになると思います!
お待ちしてます