バレンタインデーです。
街は甘くて華やかな雰囲気が漂っています。

わたしは失った子の供養をするため、京都のお寺に行きました。
私たちが日常のなかで御線香をあげ、祈ることも忘れたくはありませんが、お寺でお経をあげてもらう供養は必要な儀式と思うからです。私たちの心のためにも。

このお寺には半年前にも来ています。そのときも供養でした。
まさかの再訪です。
半年で2回。
神も仏もいない。
そう思ってしまうのに神社仏閣に参り、祈りを捧げるのです。

実は、何気に読んだ住職のネット上の日記に、お人柄としてちょっと抵抗を感じるコメントがあって、供養をお願いするのはやめようかな、と思ったのですが、やはり兄弟を同じ寺で供養したいと思い直し、またやって来たわけです。

本堂でお経をあげてもらった後(幾つかの宗派のお経を短縮して読み上げてるみたいです)、大きなお地蔵さまのいるお堂へ導かれます。
そこにはフエルトで作られた小さなお地蔵さん、墓石で作られたお地蔵さん(頭部が丸い円柱で、笑った目と口が描かれたシンプルな造物)や参りに来た方々が持って来たおもちゃ、お菓子、切り花がところ狭しと置かれています。

大きなお地蔵さまの前で再びお経をあげてもらい、私たちは焼香をしました。お経をあげてもらう間、心はしっかりあの子に向かっていました。

あなたにまたこの世で会うことはできませんか。

私たちの墓石でできたお地蔵さんは少なくとも7、8年はこのお堂に置かれ、狭くなった場合は別の場所に移るそうです。でも、すでに沢山のお地蔵さんです。いつ来ても自分達のお地蔵さんに会えるよう、帽子を被せたり、目印を付ける方も多いことを今回発見しました。
我が子を想う気持ちは皆同じです。
私たちは用意がなく、お地蔵さんの頭にアンパンマンのぬいぐるみを乗せました。うっとうしいかな。
今度、母を連れてくるときに目印になりそうな何か持って来よう、と思いました。
希望があれば夢に出て伝えてくれないかな。

寺で供養をしたからといって心が完全に回復するはずはありませんが、前を向かなければなりません。そのための供養でもあると思っています。

庭先の雪が溶けかかって、お地蔵さんにも陽が優しく当たっていました。

{F5A9B010-CF54-44DC-8B2D-F599761C7818:01}