Movable Feast now in Stockholm, Sweden.

パリ(シドニー➡️シンガポール➡️上海➡️シンガポール➡️アメリカ➡️パリ)から相方と猫のシンシンと伴にウプサラからストックホルムへ引っ越して来ました。初めての北欧生活、自然の事、音楽などなどテーマを絞らずにいろいろと。


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この7月と8月の二ヶ月間は今年二度目のアメリカ(約2週間)➝ストックホルム➝パリ(2日間)➝イタリア(Verona & Garda・5日間))➝パリ(2日間)➝ストックホルム➝東京(10日間)➝ストックホルム➝コペンハーゲン(4日間)➝スウエーデンと目の回る様なjet set を文字通り走り抜けた私の夏でした。

 

 

一方、今年のストックホルムは遅い春がやっと5月辺りに来て、

「もうすぐ夏も来るのかな?え?あれ?この肌寒いまま秋に突入!!?」

という、春から夏にならずにそのまま秋になる、という拍子抜けなストックホルムの「夏」でした。

 

今朝は毛布のはだけた肩の辺りが寒くて目を覚ますほどの一桁の気温で、これから一気に季節がジェットコースターで急降下する一歩手前の瀬戸際。外へ出れば皆がむしゃらに最後の「夏」の名残に爪をたててしがみついている感じさへします。

 

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前回のアメリカ行きは相方の叔母の容態が急に悪化したとの報告を受けての予期せぬアメリカ訪問でしたが、7月の二度目のアメリカは、以前から予定していた私の両親と相方の母親とマンハッタンで合流する目的のものでした。

 

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猫寿司のおもちゃで遊ぶ雪だま。爆笑チューリップピンク

 

 

今回は大所帯なのでホテル住まいではなく、相方はいろいろなサイトを見てマンハッタン内でのアパートのレンタルを考えていて、初めは「グリニッジ・ヴィレッジ地区にすごく豪華な物件があった!ここにしよう〜!」と目をキラキラさせていたのですが、その案は私の父がヤフーの7年ほど前の中途半端に古い記事を持ち出してきて「その近辺で観光客はよく被害にあっている。治安が悪い」と不安気に言い出しあえなく挫折。(←念のため実際はものすごく安全とは言い切れないけれどもそんなに危険な地域ではありません。🐵)結局はイースト・ヴィレッジとグラマシー地区の間のレキシントン・アヴェニューに面した物件に決めました。

 

 

我が家の雪だまは出発の前日に、麦畑と草原のど真ん中の「ここが本当にストックホルムから車で30分の場所??!!」と驚く様なほとんど車一台しか通れない細い曲がりくねって舗装されていない砂利道を延々と車で走らせた先にあるペット診療所も兼ねる施設に預けに行きました。

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途中、延々と広がる菜種油を採るための畑。

 

半分野外とも言える様な広いケージの中に雪だまを置いていくのだけど、不安気な目をした雪だまをそこに残していく事はまさに後ろ髪をグイグイと引かれるような切なさを伴う経験でした。

 

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ゴメンネ。すぐに戻って来るから。あせる

 

 

目的地がアメリカ行きの場合、ストックホルムの空港からもう既に緊張感があって、チェックインのカウンター前にはアメリカ行きの人用に別口で空港の審査官が配置されていて、「どうしてスウエーデンにいるのか。スウエーデンでは何をしているのか。」などなかなかの押しの強さで紋切り型にかなりのしつこさを持って質問してきます。

 

今回はJFK空港へオーランド空港から10時間のフライトの後に到着。やっぱりパスポートコントロールでの延々と続く列の長さとその場の雰囲気の悪さに「ああ、できればアメリカには来たくないな〜」の思いをまたまた再認識。

 

どうしてわざわざアメリカという国の第一印象を意図的に悪くするかのようなこんなに非人間的で高圧的な対応しか出来ないのだろう。今回は列に並んで待つこと1時間近かったけれども、審査自体は3分くらいしかかかりませんでした。

 

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タクシーの窓から見るマンハッタンへの勢いよく後ろへ流れていく外の風景はやっぱりマンハッタンはアメリカじゃなくってマンハッタンという一つの独立した世界なんだ、という事を再認識させてくれる街の躍動感と人々のダイナミックさ!人々が何かに突き動かされるように人混みを掻き分けて目的地へとそれぞれが早足で向かっている。

 

虚ろな目をした目的を見失った人もたくさんいるのでしょうが、誰もが全力で焦点を夢と目標へと合わせてが我武者羅に、我が儘に、自己中心に、良い意味でも悪い意味でも人間的に成熟する事なく生きていける不思議な街。😎

 

タクシーを降りて今回の滞在のために借りたアパートに着いてみると、「あれれれ?何か違う?」の嫌〜な予感。ガーン

 

ドアを開けるとインドの象さんの装飾がなされたちょっと怪しげな雰囲気で辺り一面にたちこめる独特なお香の強い香り。そして薄暗い階段を上ること一階、二階、三階、この段階ですでに「ゼーゼー」の荒めな呼吸。そしてもう一段、ドアの向こうに隠れてる階段!!結局重いスーツケースを持って四階をエレベーター無しで登ることが判明!!汗

 

この辺りで私の心の表情は無表情な冷たい能面の形相。私の母はもうすぐ80代なのだけれどもどうやってこの階段を登れるのだろうか、、、、と母の事が心配になる。

 

 

母と父は東京からその日の午後の便で到着する事になっていたので私たちは近所を探検に少しだけお散歩してみました。周辺のインド人の営む多くの店を通り過ぎてユニオンスクエアの方角に歩いて行くと、あまりの変貌ぶりに目を見張りました。少し前まではちょっとした危ないエッジ感のある場所もあったりしてそのストリートっぽさが魅力でもあったのに、すごく小ざっぱりとキレイになってEATALYというイタリアの食をテーマにした広いオシャレな市場が出来ていたり、ご存知マリメッコの大きなお店がその隣に出店していたり、と驚きの連続。

 

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⬆️ここのお店は大推薦!可愛らしい猫の雑貨やキッチン用品がたくさんありました。左の猫のグラスはまるで雪だまの様で自分用に求めました。お店の名前は Fishs Eddy (889 Broadway at 19th Street | New York City, NY 10003 | Phone: 212-420-9020)(サイトに興味のある方は左の青い文字をクリックしてみてください。)

 

テキストメッセージで、父から今空港に着いてこれからタクシーで宿に向かう、との連絡を受けて私たちも急いでアパートの方角へ踵を返してアパートに着いてみると、そこには既に父と母が大きなスーツケースを持って入り口に立って待っていました。

 

母の表情は興奮で上気しているのが分かりました。ラブラブ

荷物は私たちがもって、先ほど登った階段を再び登りながらちょっと両親の反応を心配しながらいると、部屋に着いての第一声は「なんて素敵な所なの!!マンハッタンをこういうローカルの人達が生活する所で自由に過ごす事が出来るなんてさすが!私達だけだったらこうはいかない。すごく嬉しい〜!!」と相方に感謝する事しきり。そして相方に「ありがとう〜」のハグ攻撃!(大笑)爆  笑音譜

 

私もそんな母の様子を見て大いに安心しました。こういう楽観的で嬉しさを振幅して表現できる才能は我が母ながらすごい、と思う。私などは嬉しい時でも「このくらいなんでもありません。」みたいな涼しい顔をしてしまうのですが、誰か一緒にいる時、嬉しい時こそ大いにそれこそ大げさなくらいにその喜びを表現して相手にもその喜びを伝えるのはすごくいい事なんだ、と母から学びました!😸

 

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その夜はロックフェラーセンターにある父が予約したシーフードのお店で晩御飯。食事自体はあまり美味しくなかったけれども、こうやって両親と一緒に、相方を交えて楽しくマンハッタンという地に笑顔で集まる事のできた喜びに浸りながら、摩天楼の街、マンハッタンの夜を散歩して、珍しく清々しい夜風の吹くビルの谷間を歩いてアパートまで戻りました。

 

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翌日、父と相方はそれぞれにマンハッタンで仕事の打ち合わせがあったので、私は母を連れて不慣れなマンハッタンの街を地下鉄を乗り継いで5th Ave まで行ってみました。健脚な母は街の中もすいすい、と歩いてセントラルパーク近くのアップル店内を見て回ったり、Bergdorf Goodmanというデパートの靴のセールを見て回ったり、悪名高きトランプタワー(なんと隣はあのテイファニー本店。残念・テイファニー!!😩)の前で記念写真を撮ったりやることもいっぱいで、家に着いた時は二人ともグッタリ。(笑)

 

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Appleストアの中でご機嫌の母。ニコニコチューリップオレンジ

 

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Bergdorf Goodmanの靴売り場のデイスプレイ。

 

 

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森英恵さんのアメリカ進出当時のポスターもありました。日本からの生け花を服のモチーフにしたのでしょうか。

 

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悪名高きトランプタワーの隣は何と言う事かテイファニー本店!ショック。ハートブレイク

 

 

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トランプのいろんなバッジを売る男性。

 

 

その夜は相方のニューヨーク時代にお世話になった友人夫妻(旦那さんは相方の最も信頼する臨床医で奥さんは精神科医)と私の両親を交えて相方の予約したレストランで乾杯。彼らは昨年、私達に会いにパリにも来てくれて私達の狭いパリのアパートに泊まっていってくれた。

彼らとトランプへの不満と対抗法やらフランスのマクロン大統領とその年上女房夫人の話題、同僚の医者達の近況やアメリカ医療改革の小難しい話に盛り上がり、相方はとても嬉しそうでした。母も「こんなに素敵な人達と一緒にお食事が出来るなんてすごい事!」と頰を紅潮させてまるで少女の様。

 

ここのレストラン(Cafe Boulud New York City : 20 East 76th Street New York)は今回のマンハッタン滞在中、一番の感銘を受けました。大袈裟な過度の圧迫感を感じさせないさらっと神経の行き届いたスタッフさん達の優しいサービス精神ととても美味しい食事、そしてお客さん達もとても節度あって洗練(civilized )された満足感を覚える素晴らしいレストランでした。

 

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パリでもどの街でもそうなのかもしれませんが、マンハッタンでの一番のお勧めは人々の生活の息吹の感じられる街中の市場や公園、駅の雑踏にあるのかもしれません。

 

マンハッタンに来たら外せない場所にグランド・セントラル駅があります。

 

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日中の人々でごった返す躍動感たっぷりの駅も素敵なのですが、夜の行き交う人々がひと段落した構内も一日の終わりの安堵感に包まれてとても心休まります。この駅は天井に数々の星座が散りばまれていて、アメリカの大きな国旗が天井から吊り下げられて一種の未だ残るアメリカの良心を感じさせる場所のひとつです。(勿論、スリや犯罪も多いのでボーっとしていてはいけませんが、それはパリでも東京でも同じ。笑)

 

両親と一緒の最後のマンハッタンでの日は、朝から近所のマーケットに出かけて新鮮なフルーツやハムをたっぷり買い込んでアパートの屋上にあるパテイオで朝食。

 

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マンハッタンの街中でこうやって屋上で誰の目も気にせずにパジャマの姿で好きな物を好きなだけ食べられる経験に私の両親もとても嬉しそうでした。ホテルの生活も楽しいけれども、こういうちょっと変わった体験もとても思い出に残る事でしょう。

 

お昼は相方の大学の医学部時代の恩師と食事をご一緒しました。彼女には何度かニューヨークに来る機会がある度に会っているけれども、今回が一番元気そうで、そして嬉しそうでした。

私が「相方はどんな生徒でしたか?」と冗談半分で聞いたら

「この人は私の生徒の中で私をアカデミックな研究の分野で刺激してくれた最も忘れがたい生徒の一人なんですよ。」との返事。そしてこの恩師の相方を見つめる眼差しの中にはいっぱいのハート❤️に満ち満ちていました。後で私の両親も「あの人、あなたの相方ばかり見ていて少しジェラシーだったわよ。うふふ。」との事。

 

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その後は相方の昔のオフィスのあったユニオンスクエア周辺やニューヨーク大学のキャンパス付近を散歩してアパートに戻ってみんななが〜いお昼寝タイム。

 

マンハッタンでの最後の夜はセントルーク病院つながりで今も親交のある夫妻とフォーシーズンズホテル内にあるレストランに集合。彼らの娘さんとそのボーイフレンドも合流の合計8人の大所帯!マンハッタンにあるレストランにしてはテーブルと隣のテーブルの間隔がとても広くて会話を楽しみたい時にはぴったりの場所だと思いました。8人もいると話したい人と深い会話ができない物足りなさもありましたが、友人夫妻の娘さんのボーイフレンドにも初めて挨拶が出来てとても楽しかった。私の苦手なリアリティTVのプロデユーサーをしている彼女の彼氏はちょっとオタクっぽい男性でしたが、ちょっとした時に彼女に対する優しが垣間見られて若い二人はLOVEラブ!若さって本当に眩しい!🙈✨✨✨

 

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彼らとのまた近い日の再会を約束した後、私達はゆっくりと歩いてアパートまで戻りましたが、80近い母がいとも簡単に結構な距離を歩くのには嬉しい驚きでした!私はと言えば、もう疲れてヨレヨレ。(大笑)

 

 

翌朝、丁寧に淹れたコーヒーと簡単な朝食をとって、これから次の目的地の西海岸へ行く父と母をタクシーで空港まで送って、私達は本来ならば雪だまの待つストックホルムへ戻る予定、、、、、でした。

 

しかし、相方のお母さんが私達のいるマンハッタンで合流するはずだった3日前、その前日に相方の叔母が亡くなったとの報せを受けたのでした。相方のお母さんはマンハッタンに来る予定をキャンセルして私達はストックホルムへ戻る予定を急遽、変更してメイン州のポートランドへの飛行機を手配しました。

 

数ヶ月前に「カクテルの時間は何時なの?」と真珠のネックレスをつけてドレスアップして現れてウイスキーを飲んだあの叔母の訃報を私達がアメリカの地にいる時に受け取ったのは、ある意味、私達への彼女からの最後のプレゼントだったのかもしれません。

 

相方の家族に様々な想いが駆け巡り、数百年に渡ってバージニアの地で代々つなげていったブルーブラッドの歴史のバトンが途絶え、一つのレガシーの終焉を象徴した出来事でした。流れ星

 

アメリカで今、南北戦争時代の名残の南軍旗(Confederate flag)やロバート・リー(Robert E. Lee)将軍の銅像の撤去問題が紙面を賑わせているけれども、相方の祖先はまさにこのリー将軍と密接な関係のある家系なので、様々な意味で時代の潮流で消え去る運命にあるような叔母の死でした。(私自身は間違った歴史認識でこの南軍の将軍や旗を遺産や伝統(heritage)として英雄視して崇める事は、奴隷制度の元、完全な人権も持つに足る人間(full person)とは認められずに長い間屈辱に苦しんだ祖先をもつアフリカ系アメリカ人の方達へのあからさまな冒涜ですし、白人至上主義を煽動する現トランプ政権の元だからこそ、根本から間違った歴史認識と目に余る人種差別はとことん指摘して根絶すべきものだと信じて疑いません。)

 

アメリカは善いものと悪いものの乖離が大きすぎて特に人種差別の様なある一部の白人層が既得権を手放したくないがための問題は、闇が深すぎて大変に怖い、と感じます。今のアメリカは三権分立による checks & balances が働く民主主義国家であるというよりもlaw and orderの欠如した独裁者国家みたいな様相も色濃くなってきて、今まで地下に潜伏して闇にまみれていた悪いもの達が一気に表舞台に登場できるライセンスを与えられたかの様に、街中を白昼堂々と闊歩できる環境と風潮が整って今のアメリカの至る場所に蔓延しているのだと思います。叫び

 

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私達はその後、思いがけないアクシデントに遭遇してなんとほとんど24時間をかけて、クタクタになりながらニューヨークから相方の両親と弟妹の住むメイン州にあるポートランドへたどり着いたのでした。

 

 

後半に続きます。ピンク薔薇ピンク薔薇

 

 

 

 

 

 

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