「三つ子の魂」の出会い

テーマ:

 

image

 

毎日の日常生活の中で私が一番苦手なもの。

それは皿洗い。

 

前夜、綺麗にキッチンのカウンターを片付けて「やれ、終わった。」と翌朝朝ごはんを終えて見るとそこにはもう以前からずっとそのままだったかの様な汚れたお皿たちがシンクの中で暴れ放題。

 

家事だけはやってもやってもキリがない。

 

その中でも皿洗いは(私の場合は)、洗っている最中に段々と生気が抜けていく様な感じになって、この誰にも褒められない、認められない作業を毎日しなければならないのはとても苦痛に感じるのです。その上、洗い物が終わりそうなタイミングで無造作に一言も言わずに当たり前の様に遅れて汚れたお皿をシンクに入れられると、何かとても卑屈な気分にさせられるのは何故なのでしょうか?

 

毎日の皿洗いは私にとっては永遠の鬼門。ドンッ

 

 

image

雪だま:あつあつはそんなにお皿洗いが嫌なのニャ。

私:そうなんです。雪だまさん。この未熟な私はどうしたらよいでしょうか?

雪だま:おっほん。それでは僕の家宝の猫の手を貸してあげるニャン。

私:。。。忙しい訳ではないので今回はありがたくお言葉だけ頂いておきます。

雪だま:つまんないニャン。箱にでも入って一休みするニャン。

 

 

夫婦って難しいな、と感じるのはこんな時。

相方は外食があまり好きではないのですが、それでもたまに相方と一緒に今評判のレストランに行きたい時や家事から解放されたい時もあって、ちょうど良い頃合いを見計らって「それ今だ!」という時に、「今晩、外食しない?」と平静を装って(でも内心はドキドキ)言った瞬間、相方の目の中に宿る分厚い灰色の雨雲が横切る様な「えっ!?イヤ。」という表情と「うっ」と一瞬息を飲む間の悪さ。雷

 

私の世代の世の男性はどうも家で手料理を食べる事が好き。そしてたまの外食の提案をちょっとイヤな顔をされると私は「私を一個人の人間として見ていないのかな?」とか思ってしまいグレーな気持ちになる。雨

 

こんな感じなので毎日の食事を台所に立って調理して一緒に食べて、お皿や食器をキッチンに下げて調理器具を皆まとめて洗って、となるとやはり皿洗いのあたりで気力と体力の弛みもピークになる。

 

image

先日、願い叶って以前から狙っていたガレット・デ・ロワのケーキを一人でいそいそと買ってきました。今年のはデザイナーのMichael Cailloux さんとのコラボで出されたLenotre Parisのガレット・デ・ロワ。付属のパッションフルーツとマンゴーソースを添えていただきます。

 

image

雪だま:この箱もすごくオシャレニャン。

私:外の箱は塗り絵にもなるのですよ、雪だまさん。

雪だま:乙女心ならぬニャンコ心もくすぐられるニャ。

 

もちろん、大きめな自動食器洗浄器も台所に備えつきであるのですが、これを使おうとすると相方のムードがちょっと微妙な感じになる。私の日本人としての察する能力がこういう時に限ってONになる。携帯

 

ずっと相方のお母さんは自動食器洗浄器を使わないのかな、と思って以前彼女に聞いてみたことがあったのですが、彼女は

 

「何を言っているの?自動食器洗浄器を使った方がずっと無駄な水を使う量が少ないし、料理を作ってその上、手で洗うとしたらかかる時間と労力が大きすぎるんじゃない。」

 

と予想に反して至極まっとうな返事でした。

 

image

むむ。目

 

image

ニャンと。ビックリマーク

 

image

これでいいのだ、ニャ。ラブラブ

 

 

なるほど、これは相方の性格の問題みたいでした。

例えば、私と当初一緒になった時、私が洗濯した後に乾燥機を使うのを見て「生地が傷むから」と折りたたみ式の洗濯干しを使う様に提案してきたり、自動食器洗浄器を使っていたらいつの間にか普通モードからエコ・モードに変わっている。(笑)

 

大きなラムの塊の肉を朝から1日かけて調理してくれた時、夜になってやっとサーブされたお皿の上には数枚のスライスがあるのみで、後は大事にしまって冷凍してしまう、などなど。猫しっぽ猫からだ猫あたまはてなマーク

 

 

私は美味しいその時にいっぱい食べたいのですが、相方は後に取っておくのが大好き。一気にたくさん食べるのははしたない、と思っている模様。そしてトマトでもなんでも冷凍庫に入れてしまうのが好き。魚しっぽ魚からだ魚あたまりんごはてなマーク

 

また相方はカフェが大の苦手。コーヒーや紅茶は家で飲めるのだから勿体ない、カフェは時間とお金の無駄、と言うのが本音の様なのですが、私はカフェはコーヒーや紅茶を飲むという作業(行為)だけのためにあるのではなくて場の雰囲気や街ゆく人を眺めたり、心のゆとりを楽しむ空間のためにお金を払うもの、と思っているので相方とは考えが真逆。

 

相方はまるでサザエさんの波平さんみたいだと思います。ザ・昭和のお父さん。あせる

 

image

 

アメリカ人なのに波平さん、とは意外でしたが、結婚とはこう言った本当に些細だけど根本的な様々な違いが毎日の生活の中で思いがけない時に表面化して小さく衝突する事の連続。良く、10年間付き合ったのに、結婚したら数年で離婚、とかあるのは結婚という閉鎖的で密な人間関係の空間で、臨機応変に気分転換したりお互いの生理反応に対処出来なくなって、相手を自分と同一化させようとする抗争(!)が堪え難い不協和音を奏でてしまうからかもしれません。

 

クローバー

 

ちょっと話は変わりますが、相方はニューヨークでずっと医者をやって医学部で教授として教えたりもしていたのですが、生まれは南部のアメリカ。外観はとても穏やかで初対面の印象はすごく物腰が柔らかで温和な感じがするのですが、根はかなりのマッチョと私は睨んでいます。まさしく九州男児の様。多分、南部のアメリカ人男性と九州男児は共通点が多い様な気がします。(←本当か!?)

 

私はと言えば、横浜生まれ。ヒヨコ

渋谷で育って4歳から8歳まで父の仕事の都合でニューヨークで過ごした後長崎に数年間、そして東京に引っ越し、その後はまた横浜に戻って大学卒業後は財閥系の金融会社に勤めて大手町まで片道1時間半の通勤をして、という変化の多い環境でした。アメリカの大学院に行ったのは30歳になってから。

vs.

相方は3歳から8歳まで京都で育っています。鳥

だから相方のある意味コアになる性格の基本は子供の頃の京都にいた時に形成されて、私の場合は小さい時過ごしたニューヨークで基礎が形成されて、私の方がかえってアメリカ人的になって、逆に相方の方が日本人的になる事もあってたまに吹き出してしまいそうになる事もあります。

 

私は4歳の時、1970年代初頭のアメリカに着いてすぐに英語を全く理解も聞いた事もない環境からいきなりニューヨークの幼稚園に入れられてあの日の衝撃は子供心に強烈な印象として心に残りました。相方も当時の日本で同じ様な経験をしたに違いありません。

 

相方は何かあるとむっつりと黙りこくってしまう。私の場合は何かあるととても感情的になってその感情に言葉を与えて表現しないと気が済まない、という事も多い。何かあると、相方は黙ってしまい、私は感情的になってしまい、と当然の様に両者間は堂々巡り。(汗)

 

 

 

それでは、どうして私達は結婚して一緒になったのだろう。(←自問)はてなマーク

 

一つは私達の育ってきた環境が真逆だったから。相方はアメリカ人。私は日本人。だからお互いに「あつあつは日本人だから多分、日本人としての許容限度はこのくらいでアメリカと違って日本文化ではこうなのだろう。」と勝手に設定して思い込み、私は私で「相方はアメリカ人だからアメリカの文化でのやってもいい限度は日本よりももう少し高いはず」とこれまた勝手に思い込んでこれが良い相乗効果を生み出して何かあった時でも「多分一緒なら困難があっても大丈夫だろう、なんとか二人で乗り越えられるだろう」と思えたから。

 

そういう意味でいうと、互いの毎日の小さな勘違いの積み重ねの連続が夫婦を形作っていく、と言ってもいいのかもしれません。

 

image

 

実は私は30代までずっと「きっと私はずっと結婚せずに一人で誰とも一緒になる事なく生きていくのだろう。」と思っていたのでまさか自分が結婚するなどとは思っていなかったのです。

 

私が相方と一緒になって結婚しよう、と思ったのは相方の嘘をつかない(つけない)性格をとても信じるに値する、と思ったから。

 

たまには「こういう時は嘘をついて欲しかった」という時でも嘘をつかない(あるいは嘘をつけない)。ある意味KY(空気読めない)な人だけど、私と一緒になりたい、と言う時でもそこには一ミリの嘘はなかった。

 

そんな二人だったので私達を取り巻く圧倒的な逆境の中で一緒に戦いながら内なる絆を深めていったのだと思います。

 

そして私は相方と一緒になって私が実は一番求めていたものを気づかせてくれました。それは私の一番欲していたものはキャリアでも名声でもなく、実は自分自身の家族だった、という事でした。

 

image

 

それまではずっと一人で生きる事を決めていたのにとても皮肉とも言える気づきでした。勿論、私は自分の両親を誇りに思うし、母の事も大好きです。でも多分、ずっと母親の期待と精神的な束縛の元でがんじがらめにされていた私は、その束縛から解き放たれた自分が選んだ自分の家族を作りたかったのだと。

 

私の原体験はアメリカにいた頃に作られたものだったからか、私は日本の社会の中ではいつも孤独を感じていた様に思います。言葉遣いや立ち振る舞いや反応は一般の日本人以上に日本人らしい「古いタイプの日本人」の私でしたがいつも心の奥底でアメリカに帰りたい、本来の自分に戻りたい、と感じていました。だからアメリカ人の相方と結婚して一緒になったのは必然だったのかもしれませんし、相方は相方で心のどこかでアメリカ社会の中で私の様に孤独を感じていて自分の本来の姿は日本にこそある、と思っていたのかもしれません。

 

 

 

アメリカ人な日本人の私と日本人なアメリカ人の相方。

違いはたくさんあっても、小さな喧嘩は毎日しょっちゅうしてても、互いの存在に心の平安と安定を感じて一緒に過ごす時間の中に二人の絆の根をしっかりと張り巡らせて葉を枝を伸ばして曇りの日でもその向こうにある太陽に向かって最後まで幹を伸ばしきって行けたなら、と思います。

 

 

私:ニャンコ大先生、どうなさったのですか?真面目なお顔。

雪だま:何か最後に面白い事言ってくれるのかと思ったら普通に真面目な結論で拍子抜けだニャ。

私:それではニャンコ大先生、何か面白いポーズで締めくくってください。

雪だま:それではいくニャン!

私:はい!ニャンコ大先生!

 

 

私:やっぱり。。。。

雪だま:ドキドキ

 

 

 

 

ブログ・ランキングに参加中です。雪だまボタン⬇︎をワンプッシュしていただけたなら大変に励みになります。

  にほんブログ村 海外生活ブログ パリ情報へ


他の方達のとても面白いブログの紹介です。もしご興味がありましたらどうぞ。 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村