たぶん
もうキャパオーバーだっのだと思う。
育ての母の死。
大好きだった祖母の死。
そのたびに
たくさんの決断をしてきた。
これでよかったのかな…
もっとできることが
あったんじゃないかな…
あのとき
別の選択をしていたら……
そんな後悔や罪悪感も
誰にも話せず
ひとりで抱えてきた。
だから、もうこれ以上
怖い思いをしたくない。
重大な決断もしたくない。
できることなら
もう何も考えたくない。
でも…
そうもいかない現実…
年齢を重ね
衰えていく両親のこと
今もその都度
決めていかなくちゃいけない。
ヘルパーさんと
うまくやれているかな…
迷惑をかけていないかな…
ちゃんと食べられているかな…
栄養が偏っていないかな…
施設の人たちに馴染めているかな…
体の痛みを
ちゃんと伝えられているかな…
両親それぞれに、
それぞれの「こうしたい」がある。
できることなら
その願いを叶えてあげたい。
でも、
してあげられないことのほうが多い。
そのたびに
「私って、何もしてあげられないな」
って
自分の不甲斐なさに落ち込む。
そんな毎日の中で
夫の何気ないひと言に
反応してしまうことがある。
悪気がないことはわかってる。
私に聞いているだけ。
思ったことを口にしているだけ。
それも、ちゃんとわかってる。
なのに……
「もう、何も聞きたくない!」
ってなる。
「もう何も持ちたくない!」
「もう責任を取りたくない!」
ってなる。
そして心の中で叫んでしまう。
「これ以上、私を怖がらせないで!」
夫は
私を怖がらせようと
しているわけじゃない。
わかってる。
わかってるからこそ
そんなふうに感じる自分に
また落ち込む。
でも
最近、少しだけ思う。
私は
本当は
怖いんだ。
また大切な人を失うこと。
また大きな決断をすること。
その決断を間違えること。
あとになって後悔すること。
正解がわからないこと。
そして、
「私がなんとかしなくちゃ」
と、また何かを背負うこと。
それが、怖い。
だから、
「怖がらせないで!」
という言葉の奥には
「もうこれ以上、私に背負わせないで」
という心の声があるのかもしれない。
人は
いつでも冷静でいられるわけじゃない。
いつでも優しくいられるわけでもない。
大切な人に、
きつく当たってしまう日だってある。
それは
その人を大切に思っていないからじゃない。
ただ、
自分の中に
もう受け止められる余白が残っていない。
そんなこともあるんだと思う。
だから私は、
「なんであんな言い方をしちゃったんだろう」
と自分を責める前に、
「私、今すごく頑張ってるんだな」
って、自分に気づいてあげたい。
怖いときは、
怖いって言っていい。
今は無理だと思ったら、
「ごめん。今はその話を聞く余裕がない」
って言っていい。
全部を
自分ひとりで背負わなくていい。
誰かを支えるためにも
まず自分の心に余白が必要だから。
そして、
「怖がらせないで」
の奥にある
「もう少し安心していたい」
という自分の気持ちも
ちゃんと大切にしてあげたい。
強くなくていい。
いつでも冷静じゃなくていい。
何でも受け止められなくてもいい。
いっぱいになったら
「いっぱいだよ」って言っていい。
それは、わがままじゃない。
自分を守るための、
心からのサインだから。
今日も私は
少しずつ
背負っているものを下ろしながら、
自分の心に
「大丈夫。
もう、そんなに頑張らなくてもいいよ」
って言ってあげようと思う。
最後まで読んでくださりありがとうございました。


