桜通り歯科クリニックを開業したのが去年の6月3日。
39歳でした。
おそ。。。

だいたい同期の歯医者連中は30代前半でほとんど開業するので僕の場合は相当遅いわけです


特に浪人経験なく。。。
特に留年経験なく。。。
スムーズな人生の中身は学生時代をとってみれば再試験、再々試験、呼び出し、職員会議に留年させるかどうかで議題にされたり、23歳24歳になってまで岡山の親を名古屋の大学まで呼び出されたりとまあ他にもなんやかんやと引っかかりまくりでしたが。
一応スムーズです。

開業が遅れる理由はそんなところにはなく。。。

ただただ、ただただ自分にしか興味のない人生やったんやな。と
その影響がこの流れに現れている。と
40歳になった最近気づいた次第です

良いとか悪いじゃなくて。

34歳の時歯科医師を10年やった頃。僕は大阪は京橋に住んでいて、尼崎立花の病院に勤務して副院長という名ばかりの役職を頂いていました。
院長と僕しかちゃんとしたドクターはいないですからね。
なりたてほやほやのルーキーちゃんは二人いましたけれども。
よく頑張っていましたよ。毎日終電近くまで削る練習につきあっていました。懐かしい。。。良いドクターになっていることを願います。

その勤めていた医院を継がへん?という話をいただいたり、開業地にどうですか?という話もたくさんいただきました。

東京に行こうなんてまさかまさか考えもしません。この歳になってなんの繋がりもない東京に行くなんてありえへん。くらいの気持ちでいました。

それどころか歯医者辞めてえ。と本気で思い。その年の冬。本当に辞めてやりました

正直勉強はまずまずやっていたと思います。最高峰と言われている先生の治療をなんども見学に行き、いろんな先生に質問しまくっていました。
でもなんと言いましょうか、ピンと来る、しっくりしたものを得ることができず。毎日『ありがとうございます』や『先生いつまでもここに務めとってや』とかけられるうれしい言葉に対し、そのうちなんとも言えない罪悪感を感じるようになり。この類いの罪悪感を一生感じ続けなあかんのか。。。と考えると、もう辞めたくて仕方がなくなったんですね。

勤務医なので患者さんには病院をやめるけど次の先生にちゃんと引き継ぐからね。と後を濁すことは決してしていません。

親父は帰って来い!ですよね。岡山の親父は歯科医師で僕はその長男です。因に次男、三男も今や歯科医師です。なんてこった。です。
大阪と愛媛でがんばっています。

そりゃ怒ります。そして後を継げと言います。当たり前です。

ですが後を継ぎませんと言ったらどうなるか?

『お前は頭おかしい』だそうです 笑 そりゃそうです。

まあ『継がない』と、その言葉を言うまでにいろいろとあったわけですが。

34歳の年の12月にプー太郎(無職)となり、親父に『頭おかしい』まあオブラートに包まずにストレートに言うと『きちがい』と言われたのですが、それが年の変わった次の年の2月中旬のことでした。

その短い期間に怒濤の如くいろんなことがあったわけで、結果桜通り歯科クリニックへと続くわけです。

たまには自分のことを書いてみようと思ったものの、たいしておもしろくないですね。
けど次回につづきます。


左から歯医者、歯医者、お漬け物屋さん、歯医者さん。

昔はやっぱりみんな若いですね。。。よろしくどうぞ。