34歳の年の一年は10年過ごした大阪時代の最後の一年となりました。
大阪の10年はまだたかだか40年の人生ですが、濃厚でどの時期より大切な10年です。
実家が岡山にある僕には今や住まいのない完全にゲストな場所ですが、勝手ながら実家のある地元より地元だと感じています。
だから行き詰まった時は今でも大阪に帰り大阪の友だちとエセ大阪弁でワイワイやってリフレッシュ。それが今もつづきます。
僕のまん中はあそこにあります。
実は34歳の年の初め、今の流れの大元になる歯科としてのすべてを教わったボスの治療を見学しに行っています。その時はこのひとの元で働くのは無理だ。。。となんの爪痕をのこすことなくスゴスゴと大阪に帰ってきたのですが。
それもこれも日頃参加していたスタディーグループのG先生の紹介で一度見に行って来いと言われ、このひとに学びたいと尊敬していたG先生に『こいつはほんまに凄い奴やで』と言わしめるそのひとの治療の見学は歯医者に対して気持ちがぐらぐらになっていた当時の僕にとって断る理由のないことでした。
東京は八丁堀。その後ここで4年間ほぼほぼ昔の言葉で言うところの丁稚奉公のような毎日を送ることになるのですが、その時が初めてきた地でした。
見学も一段落して昼休みとなり、近くの喫茶店(八重洲通り沿いのベローチェです。ここで4年間毎日昼ご飯は食べず、ボスと二人きりでコーヒーのみを飲みつづけた思いで深い場所ですが、その日が初日でした)
G先生とボスを前に座り、当たり前のコーヒーをおごっていただきました。
『先生はちゃんとしたいの?』
ボスの僕への一つ目の質問でした。
忘れもしません。この一言より以降は言葉でボコボコのめった打ちにされることがごくごく当たり前の日常になるのですから 笑 笑えなかったですけどね
『うーん。。。やっぱりわからない、理屈のわからない、ただただ習ったままに、知ったままに、丁寧に、誠実に取り組むだけで患者さんに感謝されることには罪悪感を感じるんです。その罪悪感を感じながらこれから先をやっていくのはかなり本意ではなくて。。。」
とかなんとか言ったと思います。
『何言ってんの?』
『ぜんぜんなに言ってんのかわかんないんですけど』
『起きてる?日本語大丈夫?』
返ってきたボスの反応です 笑
今となりゃこんな言われ方別に傷つくこともなく表を走る車の騒音のように耳に入れることなく流せますが、あの時は一発目で、その鋭利さに萎縮しましたね
ビビりました 笑笑
『ちゃんとしたいの?と俺は聞いた』
『そしたら、“ちゃんとしたい”か“ちゃんとしたくない”とどちらかしかない』
『わかる?』
トホホと思ったわけです。
『ちゃんとしたいです。。。』
『そうか。じゃあこの英語の論文の中に答えが書いてあります。となったら英語わかりませんとかありえない。明日までにそれを知らなくてはならないとなったら明日までにそれを知らなくてはならない。寝ずにやらなければできないのならば寝ないのは当たり前。とりあえずすべてを知るまでは寝ても覚めても知ることだらけが今の先生ならそんなことは当たり前。それが普通。頑張ってるとか努力とか、ないから。それが普通だから。それが“ちゃんとやる”だから』
『わかった?』
『とりあえず日本語勉強した方がいいよ』
・・・・・・・
『はい』
無理だ。無理だな。このひとのとこでは働けないわ。。。
そう思って帰りの新幹線に乗りました。
そしてまた次の日から尼崎立花で僕の知る普通の日常を一年ぐらぐら気持ちを揺らしながら送ることになりました。
その後ボスの元で学ぶことになるのですが、しんど過ぎて最初の4ヶ月で7キロ瘦せ。そのころ頃アメリカの学会に参加した時のホテルでの自我撮りですね。やっぱりやつれとりますな 笑
また書きます。
よろしくどうぞ。
大阪の10年はまだたかだか40年の人生ですが、濃厚でどの時期より大切な10年です。
実家が岡山にある僕には今や住まいのない完全にゲストな場所ですが、勝手ながら実家のある地元より地元だと感じています。
だから行き詰まった時は今でも大阪に帰り大阪の友だちとエセ大阪弁でワイワイやってリフレッシュ。それが今もつづきます。
僕のまん中はあそこにあります。
実は34歳の年の初め、今の流れの大元になる歯科としてのすべてを教わったボスの治療を見学しに行っています。その時はこのひとの元で働くのは無理だ。。。となんの爪痕をのこすことなくスゴスゴと大阪に帰ってきたのですが。
それもこれも日頃参加していたスタディーグループのG先生の紹介で一度見に行って来いと言われ、このひとに学びたいと尊敬していたG先生に『こいつはほんまに凄い奴やで』と言わしめるそのひとの治療の見学は歯医者に対して気持ちがぐらぐらになっていた当時の僕にとって断る理由のないことでした。
東京は八丁堀。その後ここで4年間ほぼほぼ昔の言葉で言うところの丁稚奉公のような毎日を送ることになるのですが、その時が初めてきた地でした。
見学も一段落して昼休みとなり、近くの喫茶店(八重洲通り沿いのベローチェです。ここで4年間毎日昼ご飯は食べず、ボスと二人きりでコーヒーのみを飲みつづけた思いで深い場所ですが、その日が初日でした)
G先生とボスを前に座り、当たり前のコーヒーをおごっていただきました。
『先生はちゃんとしたいの?』
ボスの僕への一つ目の質問でした。
忘れもしません。この一言より以降は言葉でボコボコのめった打ちにされることがごくごく当たり前の日常になるのですから 笑 笑えなかったですけどね

『うーん。。。やっぱりわからない、理屈のわからない、ただただ習ったままに、知ったままに、丁寧に、誠実に取り組むだけで患者さんに感謝されることには罪悪感を感じるんです。その罪悪感を感じながらこれから先をやっていくのはかなり本意ではなくて。。。」
とかなんとか言ったと思います。
『何言ってんの?』
『ぜんぜんなに言ってんのかわかんないんですけど』
『起きてる?日本語大丈夫?』
返ってきたボスの反応です 笑
今となりゃこんな言われ方別に傷つくこともなく表を走る車の騒音のように耳に入れることなく流せますが、あの時は一発目で、その鋭利さに萎縮しましたね
ビビりました 笑笑『ちゃんとしたいの?と俺は聞いた』
『そしたら、“ちゃんとしたい”か“ちゃんとしたくない”とどちらかしかない』
『わかる?』
トホホと思ったわけです。
『ちゃんとしたいです。。。』
『そうか。じゃあこの英語の論文の中に答えが書いてあります。となったら英語わかりませんとかありえない。明日までにそれを知らなくてはならないとなったら明日までにそれを知らなくてはならない。寝ずにやらなければできないのならば寝ないのは当たり前。とりあえずすべてを知るまでは寝ても覚めても知ることだらけが今の先生ならそんなことは当たり前。それが普通。頑張ってるとか努力とか、ないから。それが普通だから。それが“ちゃんとやる”だから』
『わかった?』
『とりあえず日本語勉強した方がいいよ』
・・・・・・・
『はい』
無理だ。無理だな。このひとのとこでは働けないわ。。。
そう思って帰りの新幹線に乗りました。
そしてまた次の日から尼崎立花で僕の知る普通の日常を一年ぐらぐら気持ちを揺らしながら送ることになりました。
その後ボスの元で学ぶことになるのですが、しんど過ぎて最初の4ヶ月で7キロ瘦せ。そのころ頃アメリカの学会に参加した時のホテルでの自我撮りですね。やっぱりやつれとりますな 笑
また書きます。
よろしくどうぞ。
