朝起きて目に入ったお袋の遺影 「ああ やっぱり亡くなったんだ」と

変なショックを 

 

 

昨日来てくれたお坊さん 若いのです。

20代か30代初め 人生経験の浅さが顔の表情からも

感じられます。

 

昨日 大阪から来てくれたいとこと戒名の話になって 私の知っている人の

親に付けた「院」の称号に100万円かかったという話をしたら

いとこの父親にも院を付けたと。

えええ 同じ浄土真宗だそうです。

18万円かかったそうで そのお金は 葬儀をしたお寺さんではなく

総本山つまり東本願寺にいくそうです。

「なんだ まるで武道 本部道場へ払う登録料みたいですね」と (笑) 

 

私の父の場合は お坊さんが 「死んでまで 位がえらいとか 不要でしょう」と

言っていたので 私は浄土真宗では 「院」はないものだと 勘違いしました。

 

母の位牌を見て「あっれ 父と名前が似ている」

 

母は  釋 尼 光恩

父は 釋 正恩

 

釋と言うのは浄土真宗特有の物らしいですけど。

 

戒名は 「お母様はどんな人でしたか?」とお坊さんに聞かれ

その話からお坊さんが付けてくれるのですが 同じ 「恩」が使われています。

 

「母は よくありがとうと言う人でした」そこから 母の名前の 「ミツ」 「光」ひっかけ

「ありがとう」言葉から「恩」

 

父の場合は 名前 正一から「正 」  「恩」 この場合は 「いつくしむ」と言う意味だそうです。

父の姉が嫁いだ 名古屋のお寺(父の腹違いの姉、私のおばにあたります。 お寺に嫁いで その旦那さんは 沖縄で戦死

おばさん自身が僧侶になって家計を支え その子供 私のいとこがそのお寺を継いでいます。)のことを 父はいつも気にかけていました。

事あるごとに 「お寺お寺」と なんでそこまでお寺に尽くさなければいけないのか?

と そういう父の生き方のから お坊さんは「お寺をいつくしんだ」と感じたのでしょう。

 

話は変わって 昨日 来てくれたいとこに「お袋は 父が亡くなって 名古屋のお寺と縁が切れて 本当に幸せだったと

思う。 もし 親父の墓が名古屋にあって お寺と関係があったら地獄だから」。

お袋は お寺のおばさんにひどくいじめられたそうです。

 

いとこが どんないじめだったか 具体的に少し話したので びっくりしました。

私は具体的に聞いたことはないのですけど いとこは亡くなったおじさん(いとこの父)から聞いていました。

 

私の父は お寺に頭が上がりませんでした。

お袋を助けることもせず お袋がかわいそうです。

 

 

なぜ頭が上がらないないかというと 父の兄(腹違い 戦争で戦死)が 父に

「タイ焼きを買ってこい」と。

父が買って帰ると それを兄1人が食べて

親父にくれず。

それに すねて家を飛び出したそうです。

 

戦前の話です。

今みたいに食べ物も充分にない貧しい時代の話です。

 

父は 北海道まで流れていき 北海道の知り合いの家に行くと

「何をしている!! お前の父さんは亡くなったのだぞ!!

このお金でさっさと帰れ」

名古屋に帰った 親父は どんな顔をして姉に会ったでしょう?

 

この話は 父が亡くなる直前 父から聞きました。

 

なぜ北海道かと言うと 父の父、つまり 私のおじいさんは

一家で 北海道へ開拓団に参加して行ったそうです。

そこで 巨大なヒグマに襲われ 名古屋に引き上げた歴史があるので

その開拓団に参加した人の血縁者が北海道に残っているみたいです。

 

昨日 いとこに 「父は親不孝だけど俺はちゃんと二人の面倒をみたよ 俺の方がよほど親孝行だよ」

空威張りして強がりましたが 父が贅沢をしなくて お金を残してくれたおかげで

母を介護施設に入れることができましたから 父は立派です。

 

話はまたまた変わりますけど

 

まだ 弟が生まれる前 私が自意識が芽生えるか芽生えないか 幼い時

我が家は 食べ物が満足にないほど貧乏で ボロボロの長屋に住んでいました。

風呂はなし トイレは長屋の共同便所 もちろん 洗濯機なんてない時代ですから

洗濯のたらい。

ネズミがよく出るので ネズミ捕りでネズミを捕まえてタライに水を入れて

ネズミを殺す。

なんて生活でした。

夜 家族全員が

おなじ場所にごろ寝して寝ていました。

ある夜 母が布団の上で座って 号泣していました。

どんなに悲しいことがあったのだろうと子供心に響いて忘れることができません。

 

私は中学生ぐらいだったか 靴下に穴が開いたをみた母が 「ああ ダメになったね 捨てなくちゃ」と

言ったのに ショックを受けたことがありました。

私が小さいころ履いていた靴下が履き心地が悪くて悪くて すごく嫌で

穴だらけで それを色んな布を縫ってつぎはぎをして穴を埋めていた靴下ですから 履き心地が悪いです、

貧乏で靴下が買えなかったのです。

そんな生活をしていた母が 「穴が開いたから捨てろ」と

 

数日前 私の同僚の預金がほとんどないと言うと話を聞いてショックをうけました。

同僚は 「そういう世代だ」と言いますが。

 

我が家は本当に貧乏でした 食べ物がないひもじさ、恐怖を身に染みて知っています。

だからか いつに何があってもひもじい思いをしないように 準備しようと

貯金を心がける習慣があります。

 

母の死で 色んなことが 思い浮かんできます。