数日前に、先日紹介した映画「日本のいちばん長い日」を観てきました。
70年前、泥沼状態の戦局を終結させるために苦吟した為政者たちと、それを阻もうとした血気盛んな一部軍人たちを描いています。
映画の内容に異を唱える人もいるかもしれませんが、歴史のひとつの捉え方、切り口です。
本土空襲、二度の原爆投下、ソ連軍の参戦と続く中で一刻も早く戦争を終結させるべく、「ご聖断」という方法をとるしかなかった鈴木貫太郎首相たち政府首脳と陸軍トップの阿南陸軍大臣と昭和天皇が各々自身の役割を十全に果たしたのであろうという観点で描かれているように感じました。昭和天皇が人としてかなり踏み込んで描かれているのも長い歳月の恩恵であろうと思います。
「歴史は百年経たないとわからない」という言い方がありますが、それまでにいろんな人がああでもないこうでもないと論じ合わないとなりません。
 ところで、映画の英語題名が「 The Emperor in August  」 (八月の皇帝 (天皇) )となっています。 「英国王のスピーチ」(The King's Speech)という洋画が日本でもヒットしたように、かつて日本にこういう時代があったと、海外に紹介・輸出されてもいいんじゃないかと思います。

 8月14日にポツダム宣言受諾(無条件降伏)が決定して敵国側に通告され、同日夜に昭和天皇による国民への通告が録音されて、翌15日の正午にラジオ放送(玉音放送)されて日本国内では事実上戦争終結となりますが、正式にはもう少し日数がかかります。 (鈴木貫太郎内閣は戦争終結の役割を果たしたとして8月17日に総辞職)

 連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥が8月30日に厚木飛行場に到着して本格的に占領統治が始まり、 9月2日に東京湾上アメリカ戦艦ミズーリ号で降伏文書調印式が行われます。 日本側は政府代表として外相・重光葵、大本営(軍部)代表として参謀総長・梅津美治郎が出席し、戦勝国側は連合国軍代表としてマッカーサー元帥、他にアメリカ、イギリス、中国(中華民国)、ソ連邦~以上ポツダム宣言調印4国~と、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、オランダ代表などが出席します。この調印によって正式に停戦・日本の降伏が確定するわけですね。 公式文書に署名・調印されてはじめて正式に物事が決せられるというのが古今東西変わらない政治や外交の形です。
それゆえ戦勝国側の対日戦勝利の記念式典は、規模の大小はあれこの9月2日に行われることが多いようです。 去る3日に中国で初の大規模な抗日戦勝利記念軍事パレードが行われましたし、ロシアなど各国でもこの近辺に対日戦勝記念式典が行われるそうです。
(ヨーロッパでは各国で対独・ナチス戦勝利の記念式典がドイツ降伏の日に行われるそうですから、対日戦勝記念ばかりが行われているわけではありません)

この後、日本は連合国軍(主としてアメリカ)占領下に置かれ、「主権」を失います。主権が無いとは、自国のことを自国民で決められずに占領軍に何事もお伺いをたてなくてはならないということです。
戦後処理のために1951年(昭和26年)9月4日~8日に戦争関係50余国参加により、アメリカ・サンフランシスコで講和会議が開かれ(日本首席全権は吉田茂首相)、8日に講和条約調印によって、停戦終結、日本の独立・主権の回復がなされました。
 (以上はおもにウィキペディアを参考に記述)

「戦争は始めるよりも終わらせる方が難しい」とはよく言われることです。
現代でも他国・他地域の様子を見るとそうなんだろうと痛感します。

 さて、故・渡辺淳一氏の「瓦礫の中の幸福論~わたしが体験した戦後」(幻冬舎・2012年刊)を読むと、敗戦時小学校(国民学校)6年生で北海道札幌市に住んでいた氏が子どもの目から見た戦中・戦後の様子が簡潔に書かれています。地方の一少年の経験の回想です。