ごぶさたしています
新年度が始まり、新しい場で新しい生活をはじめた人も多いかと思います。
タイトルの「恩讐のかなたに」というのは菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」由来のことばです。
先日太平洋戦争終結70年の節目に、天皇・皇后両陛下がパラオに慰霊追悼と親善の訪問をなさいましたが、何事もなく無事 帰国されました。10年前のサイパンご訪問の時は、ニュース報道を見て、ああそうか、そういうことができる時代になりましたかぐらいにしか感じませんでした。私事で心煩らわさられることしきりでしたし自分の生活に埋没していましたからね。
その後わたしも加齢して、世の中への見方も多少変わり、親たちの大戦前後の事情などを少しく知ると、何がしかの感慨を抱くようになります。
それで思うわけです。平成天皇は昭和天皇ができなかったことをなさっているのだろうと。
(大きなことを語るな、とたしなめる向きもあるやと思いますが、国民が自国の歴史を語って何が悪いことがあるでしょうかね。ましてやこの国には言論の自由があるはずだし、少なくとも「内心の自由」は万人になければ・・・・それが人の人たるゆえんというものでしょう。)
恩讐のかなたに・・・などということが言えるようになるには、長い時間とことばと形による慰撫・鎮魂が必要になるでしょう。
傷癒えず死によってようやく感情・思考に終わりが来るという場合もあります。
怨霊となって消えずに残る可能性もあるではないかと言う人もいるかもしれませんが、わたしはそういう考え方は取りません。
参考
玉音放送(感度の悪いラジオしかなかった時代)から19年後、1964年10月10日東京オリンピック開会式での昭和天皇による開会宣言