私生活での変化 振返り 学校や親、価値観 | tomのブログ

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日常のことを綴ってます。
独り言のような。

 

  自分の価値観の変化。

今日も今日とて長文です笑い泣き

主に、両親と私のズレです。

 

・親から引き継いでいた価値観を自分の価値観だと思っていたこと。

・今までの常識と自分の価値観の相違

が大きい。

 

 

それも子どもからの変化への促しが半端なかった。

次女が生まれた時の嫉妬から、長女の言動にかなり影響され、

凪だった自分の感情や穏やかな生活が、

一変したチーン

それも布石だったのでしょう。

『親に反抗してもいい』というw

 

価値観が変わってきたこと

たとえば、

 『学校は行くもの』➔『必須ではないな』

 

長女が「学校行かない」と朝に言い出したのは、

小学校に入って少し経ってからかな。

私は時短勤務に復帰していて、都内まで通っていたため、

お休みの日以外は家にいるわけにもいかず、

実家にお願いしていた。

 

毎日休むというわけではない。

ただ、朝の忙しい時に言ってくるからこちらもパニック。

気性の激しい長女は怒ったり泣いたりすると、

モノを投げたり、叩いたり。

全力で行きたくないを発揮してくるため、

こちらも怒ったり泣いたり。。。ムキー泣

 

何回目かの朝、ふと気づいた

 

 

「あれ?私はなんで怒っているんだろう。

 娘が学校に行かないこと自体は、私には関係ないはず。」

 (仕事に行く間、娘どこにいる?とかは別問題として)

 

そういう俯瞰した自分が出てきたのは、

クラニオセイクラルのおかげだと思う。

自分を省みる練習を毎回しているわけで。

 

そこでそう氣づけたことは、その後の私にとって、とても大きい。

 

なぜ怒っているか。。。

なぜ行きなさーい!となっているか。。。

あー、子どもが学校行かない

実家に預かってもらう

親から「また行かせないの?」と言われる

できない親・ダメな親、みたいに言われてる感じがする。

私が行かせてないわけじゃないのに。

 

 

 

ここでもまた、『周りからの目を気にしてた』

 

長女には長女の人生があり、自分で選ぶのだからそれで良し。

今とても嫌がっていることを無理強いする意味って?

身体壊すより良くない?

 

分かるか分からないかは、分からないけどw

長女には、学校に行かなくてもありだけど、

将来自分がやりたいことが出てきたときに、

勉強が必要になるかもしれない。

その時、大変になるかもしれないことだけは、言っとくね。と。

 

まぁ、私も変化の途中だから、

親からやいやい言われるのは嫌だし、

自分が休みたいんだったら、自分で聞いてきてよ、とか。

大人らしからぬ態度をとってたな~w

 

私が親に感じていることがきちんと表面に出てくるように、

長女がやってくれてたのかな~ってくらいポーン

親からの常識と、自分の内面と、未来はどう?と向き合う日々。

子どもからのアレコレが原因で、自分を見る日々。。。

 

たぶん元々人の内面とか、興味があったのと、

自分のことについて深掘る機会がなかったこと、

クラニオとかアーユルヴェーダ、エネルギー、真理とか学んだこと、

いろんな要素が合わさって

自分と向き合うことを、可能にしてくれてたんだろうな。

 

その中でもクラニオは、実践向き。

知識を理解していても、それを体現・実践するって、

練習が必要かもな~と思うけど、

私はそれをクラニオのクラスを受けたり、クラニオの練習することで、

勝手に練習していた、ってこと。

 

後に心理学で知る、ACT療法とか、スキーマとかいろんな知識が、

クラニオを練習していると、勝手にやってた、みたいな状態。

 

親も心配で言ってくるのは分かってる。

親や私たちが今までやってきたことを否定するわけでもない。

でも、それって今の世界観がずっと続いている前提での価値観で、

今の子どもたちが大人になるころには違うかもしれないし、

もはや今の子たちは、年齢的に大人になる前から

いろんなことを知っているし、見てるし、できるようになってる。

 

スマホからいろんなものを知っているし、

解き方知ってれば、難しい計算は計算機がしてくれる。

感じる力・考える力の方が大事では?

 

親から言われたことに対しての自分の考え

「集団生活しとかないと社会に出た時大変じゃ。。。」

社会に出るかわからんし、

そもそも社会自体が今と変わってるかも。。。

 

「基礎的なことは身に着けておいた方が」

学校で身に着く基礎的なことって、なんだろう。

みんな仲良く?

いろんな人が居る、ということは分かっていいかもしれん。

 

「義務教育だから」

義務は子どもにかかってるんじゃなくて、大人にかかっている。

私も最近知ったけど、

「子どもに学ぶ機会を与える義務」ということらしい。

絶対学校行けよ!の義務ではないらしい。

 

「学校は行くもの」

嫌な学校に行くストレスでお肌悪くなってる方が

私にとっては本末転倒

 

 

 親も絶対ではない

先日の遅い反抗期を迎えるまでは、なんとなく、

親の存在は、絶対とまでは言わなくとも、

自分の中で大きい存在というか『できた存在』って感じだった。

 

小さい時のことから言えば、

・毎日、食事を作ってくれる

・働いている

・わりとなんでも知っている

・掃除に洗濯に、家事全般やってくれる

・祖父母の世話もしている

・3姉妹の面倒を見ている

・部活の送迎もしてくれてる

・習い事に通わせてくれる

 

最近も

・だいたいのものは作れたり直したりできる

 (ウッドデッキ作り、手すりを付ける、庭の簡易階段階段、他)

・社会のことも知っている

・税金がどうとか、保険がどうとか知ってる

 

親は、

 

何でも知っている人・できる人・広い教養のある人

みたいに感じてたのかな~。

偉大な人・神様・すごい人、認めてもらいたい人。。。

 

でも、それぞれの価値観や、それぞれの理想や、大事なことがある。

 

時代背景も違う、世間の常識も違う、過去の経験も違う、

そもそもそれらを感じる個人が違う。

家族であっても、例えば同じ事象が起きたとしても

それを感じる個人が違うのだ。

 

ということを、私は知ってきたから、

やっと親との違いも認めることができたんだろう。

本当に遅いな~。

 

ある意味、ヤンキーの人や、中学生・高校生などで反抗期が

あった人たちはすごいと思う。

あんな若い頃から、きちんと個人が違うと感じて、

それを表現して、ぶつかっても自分を貫くとか、凄すぎる。。。

 

私の遅い反抗期記事

 

 

 今は無理なく各々の心地よさを模索

今思うと昔は
0か100かみたいな、所があったと思う。
以前、「武士のような真面目さ」と例えられたことがあるがゲロー
それを徐々に手放してきている最中。
あともう少しで、手放せそうw
 
子どもたちのおかげで、本当の自分に追い風が吹いている虹
グラデーションがあって、みんないろんな人がいて、
その分価値観や考え方もさまざまで、
お互いに無理なく楽しく生きていけるところを目指したい。
 
 
私のアーユルヴェーダから始まった自分変容のプログラムは
誰にでも起こりうることだと思う。
そしてそれはその人のタイミングや環境や興味によって進むかと。
違う角度から入っていく人も居ると思う。
 
でも、社会に寄せすぎてストレスばかりになっていたら、
自分の声を聞くタイミングを逃すかもしれない。
私は運よく、アーユルヴェーダを知れたおかげで、
まずは身体から整えていって、徐々に内面に変化が起こっていった。
 
身体からの人、内面からの人、環境からの人、
いろんなパターンがあると思うけど、
自分のセンサーで見つけて実践していけるといいなと思う。
 
私がしていることが、誰かの変化変容のきっかけになったり、
伴走する人になれたら、幸せだな~と思う照れ
 
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