びっくりするくらい長い時間ブログを書くことができなかった。

 

結構最近バタバタしていて、前の日記にも書いたけど、親の生死にかかわる状況になっていてそれもあって忙しく走り回っていた。この間は無事に済んだけど、次はもうないだろうな。そして、その次がもう来てしまっている気がするんだよな。

 

なかなかむつかしいことですよね。とはいえ、看取ることができそうなのは子供の務めとしてはきちんと果たせているのかも。

 

 

 

私の心は相も変わらず弱いままだからあの人の誠実で優しい姿を探し求めてホロホロ泣くばかり。一人で向き合うにはやっぱりちょっときついよね。こんなに遠いのに、こんなに近いあの人のおかげで私は辛うじて平静を装っていられる。あの人とのタイムラインは、誰にも見せられないボロボロの私の感情が、いろんな色で無造作に塗りつぶされて散らばっている。

 

私は凄く弱くて泣き虫でずっと下を見て生きている。だからこそ悲しいときにも力を発揮できると思うのだけれど、自分でもどこにバランスを取っていいのか全く分からない。自分の命が燃え尽きるときもこうなのかな。

 

 

 

あーあ、私もこの世に見切りをつけるつもりだったのに。まさか親がこうなるなんてな。

自分一人だったらこれを機に自由になってしまえるのだけれど、私には妹がいるから、短期間に肉親を2人もなくすような悲しい目に合わせるのはちょっとかわいそうだな、なんて思っている。私が人生に絶望したりしたものだから、親が代わりになろうとしているのかな。そんなことを考えて、私のせいなのかな、なんてボーっとしてしまっている。

 

 

 

頭を現実に引き戻そう。

もう母親はこの世にいないのだけれど、その時の記憶を紐解いていく。

 

亡くなるまでは本当に悲しくて、今際の際に意識を取り戻した母親に抱き着いてわんわん泣いたんだけど、それが過ぎてしまえばあとはただのイベントだった。個人的には葬式という仕組みはイマイチよく分からない。あとは区切りになるのは、火葬の時かな。それがあればもう十分だよ、おなかいっぱい。

 

今はほのかにその時のことを考えている。また私はヘラヘラ笑って、怒濤のスケジュールに流されるままにイベントをこなして、一番近しい人が劫火の中に運び込まれていくのを海外ドラマを見るような目でみているのかな。

 

 

ああ、ねっとり絡みつくような、群青色の憂鬱だ。