つらいときに思い浮かぶ人
2-3回ほど前に口内炎のようなできものの話を書いた。結局なんだけど、街のお医者さんでわからなくて大学病院に行って手術することになった。いったん綿棒で軽くこすって細胞を取得して生検を受けたのだけど「悪性腫瘍ではなさそうですね」という雰囲気的な判断は分かったものの、確定診断に至らなかったので予防もかねて部位をそのまま切除して検査するということだった。上に書いたようにガンでないことは割と明らかなのでその点はホッとしているのだけれど「組織が硬くなっている病変は認められるのでまるっきり『健康』ってワケでもないですね」ということだった。これも前回書いた話だが、私の母は口腔ガンが原因で亡くなっている。母方の家系はがんが何名か出ており、母、祖父、いとこがガンになっている。祖父はガンとは関係ない最期だったけど。口腔ガンは数あれど遺伝性のものは少ないとも聞いており、その点は少し好材料ではある。ただ、そういいつつもやはり不安になってしまうのは事実で、私という肉体を構成する膨大な遺伝情報の1つにガン特性が全く入っていないとも言えない。早い話、漠然とした不安に取りつかれてしまっている。正直言って、こんなもの不安になっても仕方のない類だ。こういうことを気にするならよっぽど交通事故のことを気にすべきだし、なんなら月曜の部下との夕食に遅れないように仕事を終えることを考えるほうがはるかに建設的である。せっかくおいしそうな焼肉のお店をとってもらったのに。やはり既婚者はセンスがいい。つまりは私の心自身が弱っているのだろう。心と体は不可分で、相互に連理の環を巡りながら時に寄り添い、時に突き放し、今日も私という宇宙を巡っている。そのバランスがよろしくないのだ。最近忙しいし、仕事でもいろいろ思うところあるし、プライベートでも最近仕事モードだし、まあ思いつく要因は両手で足りないくらいにはある。こんなとき側にいてくれる人がいたら。いや、もっとシンプルに言おう。あの人がいてくれたら。私は情けない人間なので、こういう時に寂しがって連絡することを躊躇しない。逃げるは恥だが役に立つ。役に立つのなら恥じる必要も無いように思うのは私だけだろうか。いつもは結構作文するのだけれど、今回はこれまたシンプルに書いた。できものができたこと。手術が必要なこと。母親のことを考えると不安なこと。あなたに知って欲しいこと。手術といっても局所麻酔で15-20分ほどなので「検査で舌を切る」くらいの表現にとどめたけれど。結局当日までには連絡が来なかったのだけれど、割かし早い段階で連絡が返ってきた。向こうも短文のやりとりで一見機械的だけど、今までにないくらい早々に既読も付くし連絡も返ってくる。私に今一番必要なコミュニケーションを分かってくれている。…段々とやり取りをしているうちに、申し訳ない気持ちになってきた。向こうの職業は知っている。とても忙しくてバタバタしていることも。それなのに、わざとではないとはいえ、相手に寄り掛かるような弱音を吐いている自分。返事が早々に返ってくることにバカ正直に喜ぶ自分。……こんなんで、いいんだろうか。そして情けないことに、やっぱり私にはあの人しかいないんだという謎の想いが高まっていく。まあ、実際に手術のことを告げられて最初に思い浮かんだのはあの人のことだった。だからきっと仕方ないんだ。けど。今の私で、いったい何ができるのだろう。その答えはどこに?今週に検査結果を告げられる。それを伝えることはもう話してあるから、まずはここからなのかな。