実は最近プライベートで大問題が発生して何もかも手につかない状態だった。

 

恋愛ゴト(というよりは失恋ゴトだけど)よりも大変なことってなんだよって話になるともうほとんど話題がなくてなんとなく想像がついてしまうけれど、とにかくメンタルがガンガンに削られる時間が多くて鬱々と過ごしていた。

 

子どもというのは親に見守られて育つものだけれど、うまく育つことができれば、何もなければ今度は親を看取るもの。端的に言うとその瞬間が近づいているということだ。

 

 

そのことについて、隠すほどではないのだけれど、とてもじゃないけれど、あまりに生身の私過ぎてここに匿名化して捨て置ける文章にならず、ここで吐露することもできない。

個人的には自然の摂理に比べれば恋愛の方がセンシティブな気もするのだけれど、少なくとも一般人がチラシ裏感覚で残すにはこのむき出しの個をさらした記憶は生々しすぎる。あの人との記憶だって時間も場所もぼかすだけの余地があるのだ。

 

 

 

…というわけで誰に言えるでもなく、けど自分ではとても重たくて持ち切れないな、けど私という個をさらしても受け止めてくれる人っているのかな、となったときにあの人の顔が浮かんだ。

好きな人にだって晒せないものがある。自分の弱いところなら尚更だ。永遠の別れの前に冷静になり切れない自分を晒すというのは、単なる「頼りたい感情」に縋れないものがある。

 

だからこそ、あの人の顔が自然に浮かんだのは少し驚いた。そのくらい信頼してるんだ、って。

 

 

思わず連絡してしまったのだけれど、あまりに衝動的すぎて自分勝手で、いささか暴力的だな、と反省もした。自分の不幸を、しかもとても持ち切れないような大きな不幸を、勝手に教えて共犯に引きずり込むのだから。

 

そんなことさえ理解できていなかった自分を恥じてやっぱり取り消そうかな、なんてクヨクヨ考えていたら既読がついた。全力で受けて止めてくれる、そんな姿だった。

 

愛が大きすぎて、私のモノサシでは測れない。私なんかが恋してよかったのか。今更ながら思う。

 

 

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声を聞くと惹かれすぐに忘れつらつらと 気まぐれな僕らは離ればなれつらつらと
覚えたてのこの道夜の明かりしらしらと 何が不安で何が足りないのかが解らぬまま

流れて流れて 僕らは今うねりの中を泳ぎ回る 疲れを忘れて
この地でこの地で 終わらせる意味を探し求め また歩き始める

(『アルクアラウンド』 作詞・作曲:山口一郎)

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あーあ、やめてくれよ。また私好きになっちゃう。

こんなに痛みを分かってくれる人、私なんかのために、あなたとの距離を見誤ってしまった私なんかのために、「もう連絡しないで」って言われたのにまた連絡し続けてしまっている私なんかのために、全力で受け止めてくれる優しい人。

 

 

結局お互い、完全に連絡を絶つこともなく気まぐれに離ればなれ、つかず離れず、今日までやり取りを続けている。

それは単なる想いの延命に過ぎないかもしれないけれど、もしかしたらこういう時のためにあったのかな、なんて思ったりして。

 

 

人生の一里塚。その強烈なうねりの中でやはり止まるわけにはいかず、歩き始めるしかないんだなってしみじみと思う。

凛としたこの曲のように、その意味を探し求めたい。