相変わらずメンタルがぐちゃぐちゃになっていて、正直もう生きる気力がない。

 

 

というわけで遺書を書くことにした。

実際に果ててしまうというわけではなく、そういう準備をしておくことで肚を固めておけば多少は前向きになれるのではないかという思いだ。

 

まずはどこから手を付けるのか、遺書なんて書いたことがないからわかってないんだけど(笑)、とりあえずよくトラブルになると聞く資産整理から始めた。

というか本丸はここなんですよね。あの人の人生が一層輝けるような最後のプレゼントにしてあげたい。私という人間のすべてを果たして、渡せるプレゼント。

 

なににしようかな、誰に渡そうかな。基本は妹なんだけど、あれこれ考えると自分の命を消費する出来事なのになぜか楽しくなってしまう。

 

 

PS2のゲームで「SIREN」というのがある。ゾンビアポカリプス的な雰囲気のゲームとしては特徴的なのが「生身の一般人なので敵より弱く、逃げ回るのが基本戦略」というちょっと特殊なゲーム。日本の山間部の寒村(羽生田村、という場所だ)を息を殺しながら逃げ回るというのはなかなか私たちの世界の延長線にあってリアルさに拍車をかけている。ジャパニーズホラーゲームの金字塔だ。

 

そんなゲームの中で宮田史郎というキャラクターがいるのだけれど、その人が「宇理炎」という神具を使うシーンがある。

この神具は縄文時代に作られたとされていて、異界の羽生田村に流れる赤い水の摂取を通じて来訪神である堕辰子の一部になることで輪廻の輪から外れてしまった人間や屍人たちを煉獄の炎で焼き尽くして死の世界に引き戻すことのできる道具。

その炎を使うためには使用者の命が必要になるのだけれど、宮田は躊躇うことなく宇理炎を使う。その時の宮田が何とも言えぬ表情をしていて、自ら果たした役割と、そのために生命を使い切れたことへの満足感が見て取れる。

 

 

きっと今の私もそうなのだろう。自分が積み上げてきたものを、自らの命を捧げることで私の大切な人たちに振り分ける。その中にあの人を加えることができたのならば、私にとっては嬉しいことだ。

 

 

もっとも、遺書を書いたとしていますぐそれが実行されることはないだろう。

今はあまりにやるべきことが多すぎる。今私が消えることは多方面にかける迷惑が過ぎるのだ。

まずは来年3月終わるまで。そのあと長めの思慮期間を設けて、きっとその時が判断だろうな。

 

 

来年の梅雨は、私はこの世にいるのだろうか。あの人が一緒にいてくれるのなら、それに勝る正解はないのだけれど。