先日、少しだけ嬉しいことがあった。
お仕事の契約の切れ目、お客様とお別れする日。
お仕事については色々思うところがあるのだけれど、今のお客様はみんな本当に優しい方ばかりで、とても素敵な方々に恵まれた。
そんな方々から最後にお花を送っていただいた。黄色いブーケ、かわいいかわいい、ひまわりが2輪。
ひまわりといえば、私があの人のイメージフラワーとした花だ。あの人はちょっとはにかみながら、喜んでくれたっけ。
太陽に向かって元気に咲くのが一般のイメージだけど、中にはこうしてブーケにも収まるようなかわいい可憐なひまわりもある。
みんな違ってみんないいんだけど、どの花をとっても明るい笑顔で私の心を青々と広がる真夏の爽やかな空模様に変えてくれるあの人のイメージにぴったりなんだ。
それは、実を言うと私という存在の裏返しでもある。
あの人のように誰かを魅了し、ずっとときめかせてくれる素敵な笑顔は私には作れない。人と交わるのが得意ではなく、狭い仲の良いコミュニティでなんとか生活を保たせてもらっている私には、本当に太陽のようにまぶしいあの人だからこそのひまわりだったんだ。
ただ、私は自分を月見草にたとえることができるほど素敵な人間でもない。まあ、せいぜい名もなき雑草だ。
それはそれで生命の循環をなしていて尊いのだけれど、ひまわりとは住む世界が違うんだ。
そう、思っていたのに。
まさか私がひまわりのブーケを頂けるなんて思っていなかった。
他にもいくつかブーケがあって、全部違う種類だったからきっとお客様が私をそばで見てきて選んでくださったのだろう。
わたしも、あの人のようにひまわりになれたのかな。あの人に近づけていたらいいのにな。
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世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても 真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に
花束を君に贈ろう 愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても 君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
(「花束を君に」 作詞・作曲:宇多田ヒカル)
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宇多田ヒカルはバラードよりもアップテンポな曲が好きだ。もちろんバラードも名曲揃いなんだけど、この人の実力はポップスやR&B調の曲に出ると思っている。
難解で難しい節回しを驚くほど軽やかに歌い上げてしまう。『DEEP RIVER』のような内省的な内容も上手なメロディの中に包んで、かえって本質的な奥深さを考慮させてくれる。
この曲も同時発売となった「真夏の通り雨」とは異なる少しテンポの速い曲だけど、歌詞を読み進める、聴き進めるほどにその意味を深く理解していく。
私はトーシロだから語れることは少ないんだけど、こういう対極的な要素を自然にまとめ上げて、それを気持ちよく染み渡らせてしまうところに宇多田ヒカルの力を感じる。
わたしの想いだってそう。あの人の笑顔がどんなときも世界の中心だった。
あの人には「あなたのいない世界を生きて行けるように頑張る」と伝えたのだけれど、私の宇宙は未だにあの人の周りをぐるぐると回っている。
どんな言葉でも足りない想い、足りない恋、足りない愛。
今は伝わらなくていい。それはあまりに贅沢で、傲慢で、臆病だ。
けど、いつかまた、会える日が来ることを願っている。私もひまわりもらっちゃったって、ちょっと照れながら伝えたい。
あの人は、どんな顔をしてくれるかな。