日本一の出世から、出世のパワースポットとして名高い春日局の墓所

徳川三代将軍候補 家光の乳母としてまた、大奥を立ち上げたことで知られる。

その功績から今の文京区をもらい、その墓所も像も文京区にある。

 京都の三条にある広告を見て家光公の乳母として江戸城に入ったとされるが、それも怪しい。

その話しも天海が明智光秀と同一人物と考えると納得できる。

 

天海は徳川家康から二代秀忠、三代家光まで仕えた功労者(ブレーン)

陰陽道や風水を巧に駆使したレイライン、日光東照宮、久能山東照宮、富士山、今回回った増上寺、神田明神、上野寛永寺等ここでは省かせて貰うが、江戸(私は駿府も含めたと思っている。)鬼門を徹底的に封じた策は当時の技術では見事としか言いようがない。

 

ここでの天海の紹介はこの辺にしておいて、斎藤福という丹後の田舎娘から天皇から春日局という称号を頂くまでに出世した福

 

天海が明智光秀だという証拠の一つに

・福は明智光秀の筆頭の家人である斎藤利三の娘であること。(利三は本能寺の変で捕らえられ京都にて公開処刑されている。福が三歳のころである。)

・福が家光の乳母として江戸城に入ったとき、天海が福に対して「お久しぶり」と発したこと。

・京都の田舎娘に、いきなり次の将軍候補の乳母を任せるわけがない。天海の推薦だという説もある。

天海=明智光秀だという証拠はいくつもありますが、今回の旅行はイスラエルから消えた10士族の謎、天皇及び公家の発祥の地、諏訪神社から家光公の墓所、歴代の徳川将軍が眠る上野寛永寺、増上寺巡りでした。近いからいつでも回れるからと後回しにしていた東京ミステリーツアーが出来て感無量で御座います。

 

 

最後に大奥が出来たのは、三代将軍 家光が男色にはまったことから生まれた事はあまり知られていない。(当時は今と違ってホモやゲイではなく、ある上位の地位の者は美男子を楽しむ男色という遊びがあったとされる。)
福(後の春日局)はその事を心配して沢山の美女を全国から集めて家光に会わせたが、興味を示さないので、最後は今で言うボーイッシュな女性を探して事なきを得たという。これが有名な大奥の始まりである。
 
春日局に関しては仕事が出来る部分を紹介したいが文字数が多くなるため少しだけ
・春日局は家光の乳母、秀忠の正則 お江は次男 国松を溺愛し国松を将軍にと企んだ件に関して、伊勢参りに扮して駿府城で隠居している家康に家光推しをお願いしに出かけたこととか、行動力や知恵が半端ないことが分かる。
 
上記全て400年前の話しである!
 
 
 

 

近くまでいつも来ているのに、中々寄れなかった湯島聖堂

さだまさしの檸檬の舞台である。

 

 

 

歌詞を真似て白い石段に腰掛けてみる。

 

孔子の像 儒教の祖である。

儒教の教えは今では日本でしか見られない。

孔子の像は長崎と沖縄でも大切にされている。

 

歌詞で有名になった聖橋

 

ここからかじった盗んだ檸檬を放り投げる。

 

思ったより神田川の水面までは距離があった。

たしかに歌詞の通り波紋が広がるにちがいない

 

ご当地ソング好きには堪らない一日になった。
 
 
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