共産パルチザンに立ち向かう守備隊  石川少佐率いる二個中隊二百六十名 | サファイアのブログ

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               (過去記事から)

シベリアで何があった  共産パルチザンの残虐は悪魔以上だ  つづきをどうぞ




2013-12-26 12:37:48
テーマ:戦争と勇気 知ってほしい真実

              そして事件はおこった



雪深い尼港(にこう)は共産パルチザンも なりをひそめ
比較的静かな状態だ

そこへ、大正9年(1920年)1月29日
突然現れたのがロシアのトリピ―チンを首領とする約4千人のパルチザンでした
彼らはいきなり尼港市街を包囲した

守備していたのは ”石川少佐率いる二個中隊二百六十名と無線電信隊の四十名
それと保守派のロシア兵(共産赤軍に対して白衛軍と呼ばれていたロシア兵)
合計約三百五十名たらずでした

つまり、守備隊の10倍以上もの武装した暴徒が町を取り囲んだのです゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

町を包囲した共産パルチザンは「自分たちには敵意はない、食料と補給に

協力をしてほしいだけだ」と称して市内に入り込んできた゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚



             ところが


市内に入るやいなや
ロシア白衛軍の将兵を捕え
これを、全員虐殺しました


さらに、一般市民の中から
「有産智識階級」とおもしき市民を虐殺し
家内の家財、財宝 を強奪しました

そして、ユダヤ人を選び出し婦女子に至るまで
その全員を強姦し虐殺したのです


               その内容

共産パルチザンたちは、銃剣で突き刺して殺害したロシア人やユダヤ人たちを
国龍江の結氷を破ってつくった穴から凍る流れに次々と放りこみました


              こうして

たった一晩で尼港ではロシア人とユダヤ人約2500人が虐殺された



この事態を前に次の日、尼港の穏健な石田副領事はパルチザンに対して

           「誠に遺憾」 と

厳重抗議を行いました


            けれど


共産パルチザンたちはもとよりそんな口先だけの「抗議」 など
受け入れるはずもなく

それどころか、パルチザンたちは日本副領事の抗議に対し


           「武装解除」 を  要求してきたのです


日本兵が武装解除すればそのあと何をされるかは日を見るより明らかです
なにせ、その前日に彼らは(やつらは)2500人もの人を問答無用で
虐殺しているからです

現地の日本軍部隊は日本に急を知らせる電文を打ちました

けれど、日本からの救援隊は  ”小樽”  からの発進です
真冬の寒い時期です
海面は凍結しています
すぐには動きようがありません


満州にいる他の部隊も一番近い部隊で陸路になり陸路で到着するには
40日かかります

尼港から撤退するにも周囲は凍っているし尼港の町自体が共産パルチザンにメラメラパンチ!よって、アリの這い出る隙もないほど包囲されている
援軍もなし撤退も不可能、尼港の駐留軍は極寒のシベリアに孤立していたのです
座して死を待つくらいなら勇敢に戦って死のう


白人たちの惨殺を目のあたりにしていた日本人部隊は義勇軍を募りました
そして、百十名で武装パルチザンの本拠地を急襲しました
しかしながら、(シュウエン敵セズ) 駐留部隊指揮官石川少佐以下の多数が
瞬く間に戦死してしまう


義勇隊に参加しなかった軍人軍属と婦女子たち600名は
義勇隊の奮戦のさなかに、日本領事館に退避しました
けれど、領事館に集まることがで来たのはわずか250名でした


逃げ遅れた人たちは武装した共産パルチザンの手にかかったのです━─━─━─━─━─◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


何が起こったか


            事後の調査記録がここにあります
            ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


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  サファイアの感想

 この辺から、記事を書いていてあまりの残虐さに手が止まりました
      すべてを読むうちにその時の光景が想像してもあまりにもむごい

      胸が詰まって先に進めなくて
しかし、この真実を皆様に日本のみんなに読んでほしいからと記事を書いています
ぜひ最後まで読んでみてくださいね

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               *続けます*


調査記録によると

子供を見つけると二人がかりで手足をもって、石壁にたたきつけ
て殺し、女とみれば老若問わず強姦し面白半分に両足を二頭の馬に結び付け
股を引き裂いて殺しています


こうしてまたたくまに

義勇隊百十名と逃げ遅れた日本人約100名が犠牲となりました

日本領事館に逃げ込んだ人たちも決して安穏としていられたわけではありませんでした


領事館を襲おうとする共産パルチザンたちと領事館に立てこもった日本軍との間で
戦闘は”丸一昼夜つづきました


            これはとんでもなく大変なこと


実際、徴兵となって世界の戦場を転々と駆け巡った人から直接聞いた話ですが
   一般に銃を打ち合う戦闘というものはほんの数分で決着がつくものです

   銃撃戦が10分も続いたら「きょうの戦闘はむちゃくちゃ激しかったな」
   などと、後々まで話題になったのです


   それだけ、銃撃戦というものは戦闘員たちにものすごい集中力と緊張を
   もたらすのです

   

それが、尼港の日本領事館では丸丸一昼夜です

立てこもる日本人兵たちの緊張感 後方で震えていた日本人の婦女子たちの
恐怖は想像するにあまりあります