北朝南朝 本当の天皇はどちらでしょう  6-2 | サファイアのブログ

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さあ、始めましょう


突然現れた3人目の天皇 =輪王寺宮



    薩長同盟後押しする北朝の血を引く明治天皇

そして、仙台藩を中心に東北諸藩が担ぐ南朝皇統の大政天皇
本来ならば、この二人の天皇が幕末の南北朝ともいうべき歴史の
動乱の勢力を二分するはずであった


  ところが、ここにもうひとり、また天皇を自称する
人物が登場 、これにより事態は収拾のつかぬ混乱に陥ってしまうのである


 その人物とは輪王寺宮(りんのうじのみや)

北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)



ある


輪王寺宮は伏見宮邦家親王の子であり、この時は上野寛永寺の貫主で
あり、また日光輪王寺の山主と天台座主とを兼ねていた


 その輪王寺宮が転がりこぬように会津藩に駈け込んで来たのは
慶応4(1868年)6月6日のこと


 その前、輪王寺宮は徳川慶喜の助命嘆願のため京へ入るが
ほとんど誰にも相手にされず失意の中、江戸へと帰っている


 そして、薩長軍が江戸へ入り上野山を襲撃するとすぐさま
寛永寺を逃げだし、這這の体で(ほうほうのてい)で
会津藩へ駆け込んできたのだ、、、、(地面や壁に寄り添ってすすむさま)


 そして輪王寺宮は「われこそ正しき天皇なり」と称し
 
         「官軍討つべし」の檄を諸侯に飛ばした


      東北の諸藩は動揺した



仙台藩が担うのは南朝皇統の大政天皇



一方会津藩に逃げ込んできた輪王寺宮は、一応形の上では
孝明天皇の弟にあたる人物である



      どちらにつけばいいのか?


諸侯の間でも意見が割れた




残された記録を見ると


南朝皇統を載こうとしたのは、伊達氏の仙台藩


田村氏の一関藩


南部氏の盛岡藩 など




輪王寺宮を担ごうとしたのは、 松平氏の会津藩


上杉氏の米沢藩


佐竹氏の秋田藩 などである





              当然

仙台藩 伊達氏の求心力は弱まっていった


結成当初、一枚岩を誇っていた奥州越列藩同盟は信頼関係にひびが
入りもろくも瓦解してゆくのである━─━─━─━─━─▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


            



              本日はこの辺で


              次回つづきます



まだまだ終わりません