昨日からくもり空 風 風 そよふき 足も すすむ
そんなお天気でしたが、今日は雨 あめ
空梅雨が青い葉っぱを濡らします
さふぁいあ
さて、長くほったらかしてた
続きを書こうかな、、、と(///∇//)
会津藩が使う貨幣に、なぜ十六弁の菊花紋の紋章が刻印されているのか?
明白よ
京都ではなく東北におられる天皇家、、、。
千福屋形一族の手で東北各地に集められた大量の金、銀
それが南朝の天皇、皇統を支えていた、、、。
この辺までが(5)までのお話だったかな!!
それでは始めます
海外貿易と黄金
南朝天皇二つの柱
支えていた原資は、東北から産出される黄金ばかりではない
千福屋形一族の財力を支えるもう一つの秘密
それは、海の向こう側に隠されていた
糸割符貿易(いとわっぷぼうえき)
それが、もうひとつの千福屋一族のもう一つの力の源泉であった
糸割符貿易とは、海外の貿易をごくわずかな特定の商人が独占的に行うことができる
特殊な免許制度のこと
江戸時代の初期に定められた
このころ、千福屋一族に「鮫屋」(さめや)の屋号を持つ
千福屋形 小野寺三郎なる人物がいた
が
なんと この 「鮫屋」が初期の糸割符仲間のひとりであった
鮫屋小野寺三郎は海外の貿易商の間で絶大な信頼を得て
とくに、明との貿易では独占権を活用して莫大な利益を得ていた
この明との独占貿易で得た収入が江戸期を通じて
南朝の皇統を支えていたことはいうまでもない
みちのくから産出されるこうふな黄金と糸割符による独占貿易
この両輪がうまく回ることで千福屋形一族に支えられた南朝天皇
は
経済面においては何不自由なく江戸期を過ごすことができた
が
すべてが順風満帆ではない
実はこの時期黒い影がさしこむ
吉野から陸奥の奥に居を移した自天皇(長慶院)から数えて6代目にあたる
三超院は「王佛冥合立正安国」(おうふつみょうごうりっしょうあんこく)を
主願とする千福屋形小野寺一族と本門宗徒に、擁立され
駿東の富士大石寺にとどまり法号を「日秀」と称していた
(現在の富士市依田原字大石寺)
問題は
三超院が当時は異端とされていた「三鳥派」の思想を高くかがげていた
ことにある
ここからは、江戸幕府による弾圧
幕末の「東武皇帝」です
三鳥派不受不施お仕置之事
(おしおきだよ)
時の幕府は、取り締まりのための新たな法律までつくり
三鳥派を徹底的に弾圧した
ちなみに、「三鳥派」と書かれているが本当は「三超派」と
書くほうが正しいと小野寺氏は指摘する
「三超は (三)つを「超える」と書いて初めて正しい意味を成す
三を超えるとは 「4」です
三にひとつ 縦棒を足せば 「王 王 王」となる
王の字 「三超」とは 天 地 人 )
三つを貫く 王の存在を意味するというわけです
しかし
武家支配による封建制度を揺るがしかねない「三超派」の教義
は
徳川幕府にとって絶対に許せない
存在である
過酷で容赦ない取り締まりが始まる
1744年の三超派大弾圧事件では
日秀の孫にあたる長寿院は一時的に身を隠すよりほかに手立てがなかった
しかし
そのあとも潤沢な財力に裏打ちされた南朝の勢力は衰えを知らず
やがて
攘夷(じょうい)と開国との間でゆれる幕末に至るまで
南朝皇統は大きな影響力を保持しつづけるのである
そして迎えた幕末
南朝皇統はついに「東武皇帝」として
歴史の表舞台に登場する
しかし
現在、一般に知られている「東武皇帝」と 後醍醐天皇の
正統な血筋を引く南朝皇統とは 実は イコール の存在ではない━─━─━─━─━─
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次回は「謀略渦巻く幕末の動乱の中 、もう一人の天皇が
果たした役割」
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出かけてきます
夕方に始めます