【正論】
東洋学園大学教授・櫻田淳 「開かれた海」かけて尖閣守ろう
英誌エコノミスト(2012年9月22日号)は、「アジアは本当に『これ』で戦争を始めるのか?」と題された記事を掲載した。「これ」とは、尖閣諸島のことである。尖閣諸島のような狭小な島々のために、日中両国は本当に干戈(かんか)を交えるのかという懸念が、この記事には反映されている。ただし、この記事は、日中摩擦の本質を理解できていない。
中国の海は排他的、恣意的に
そもそも、中国の海洋進出の論理とは、「第一列島線」や「第二列島線」の概念が暗示するように、グアム以西を自らにとっての「われわれの海」にすることである。「中国の海」は、中国共産党政府の統治の実態を踏まえる限りは、他国に対する姿勢における「排他性」と「恣意(しい)性」とが優越する空間となろう。こうした中国の論理は、当然のことながら、太平洋全域が実質上、米国にとっての「われわれの海」である現状に対する挑戦を意味する。そして、太平洋が米国にとっての「われわれの海」であることは、それが「開放性」と「法の支配」を旨とする空間であることを意味している。
日本は第二次大戦後、そうした現状を承認し、そして半ば乗じながら、経済発展を実現したのである。故に、尖閣諸島は、日本や米国が奉じる「開放性」や「法の支配」の論理と中国共産党政府が体現する「排他性」と「恣意性」の論理が衝突する最前線である。日本にとっては、尖閣諸島に絡む政策対応は、ただ単に領土や眼前の海洋権益を護持することだけではなく、日米両国を含む大勢の国々の常識としての「開放性」と「法の支配」の価値を尊重することへの考慮に結び付いている。そうした説明は、内外に対して熱心に示されるべきなのではないか