日本が経済的な進出を狙っていたこの頃のアジアは
ほとんど完全に欧米諸国によってすでに
植民地化され支配されていました
1937年度の東南アジアにおける日本企業の経済的権益は
わずか、1,7%しかありませんでした
日本を世界の大工業国として発展させる為には
アジアを日本の植民地にしてそこから安い
原材料と労働力を提供させなければならないという
資本家たちの狙いがありました
そのためには、アジアから欧米諸国をたたき出すしかありません
しかし、当時日本はまだいわゆる「大正デモクラシー」といわれる
民主化運動によって反戦、平和を求める民衆の意識が高まって
いましたし、議会には曲がりなりにも政党政治が定着していて、
そう簡単に企業家が思うように戦争を始める事ができる
状況ではありませんでした
そこで、彼らはクーデターによってこの目的を達成する為に
青年将校や、右翼の思想家に巨額の資金を提供したのです
このクーデターやクーデター未遂事件をきっかけに
計画どうり政党政治はつぶされ、軍事政権、
軍事主義体制が日本に確立され1941年12月8日の
アジア太平洋戦争へと突き進んでいくのです
このように誰が必要として起こさせたか理解できます
たとえ、クーデター資金に今のお金に換算して
50億円や100億円を出したとしても戦争で植民地を獲得すれば
何倍もなるのですから。
これこそが、戦争の本質であり、根本原因といえます
(高岩監督、戦争案内より)