先日の続きです。
この張OO暗殺事件は、日本の歴史、教科書には、タダ短に関東軍の仕業であるとだけ書かれていて、三井の事はまったくか書かれていません
その後、日本は侵略を進め、1931年には満州事変を起こし、ついで中国本土へと
戦線を拡大し1932年には、満州国を建国します
このときすでに、満州で活動していた日本企業の団体が(満州事変に対する声明」として、「今次、満州において帝國のありたる手段は同地方における帝國の権益
ならびに在留邦人の生命財産に対する不法の侵害を防衛する為、やむおえざる
当然の処置なりと信ず」と、発表しています。
日本では当時の満州開拓団の苦労話だけが伝えられていますが、
満州帝國と同時に,それまで住んでいた土地を強制的に追われ
極寒の原野に放り出されて、しかも、大豆の栽培を強制された満州族の人々の苦労
のことは、誰も知りません
三井物産の大豆の商売の為、どれだけの人々が命を落とし生活を奪われ
苦労させられたのか日本の歴史にはまったく登場しません
その後、第一次世界大戦で、急成長した日本の経済は新たな"戦争"を必要と
していましたが、1920年のロシア革命の世界的な影響を受けて台陶した
大正デモクラシーによって、戦争が起こせない時代がしばらく続きました
しかし、治安維持法の悪用によって共産主義者や社会主義たちが逮捕され
さらには、反政府的活動をしたあらゆる活動家が投獄され
処刑されるようになってきました
そして、1930年、になると次々と軍部クーデターが起きて完全に民主化運動が
抑え込まれました
この一連のクーデターは、右翼と一部の軍部が起こしたと一般には思われて
いますが、実はその背後で企業(資本家)が、膨大な資金を提供していたのです
以下は、金額と提供者が、判明している者
当時の一万円は、今の一億以上になるでしょう
3月事件 50万円 徳川義親(徳川家19代目の当主、資産家)
10月事件 63万円 藤田 勇(戦争ブローカー)
5,15事件 9万円 神武会(徳川義親、石原O一郎
2,26事件 35万円 石原O一郎(石原産業社長)
これ以外に、三井、三菱、日産などの財閥も、
クーデター首O者たちに金を出している事が明らかになっている
つづく