アトムがお空に逝ってから、
一カ月が経ちました。
アトムが逝った翌日、
沖縄本島に飛んで、個別火葬をしてきました。
飛行機が苦手だったアトムの
最後のフライトとなりました。
たくさんのメッセージをいただいたので、
アトムの最期を少しだけ報告させてください。
一週間くらい前から、いつもより元気がなくなり、
3日前から、足腰がかなりふらつき、
病院で、レントゲンを撮ってもらったものの、
ヘルニアとか、そういうものではないと診断されました。
その日の夜、食欲も落ちていたので、
リンゴをすりおろし、ささみをいれた夕食を準備し、
少しだけ食べてくれました。
それが、アトムの最後の食事になりました。
その夜に、突然の痙攣が起きました。
とてもとても大きな痙攣で、
ブランケットで身体を巻いて、
ぎゅーっと、抱きしめました。
失禁もしていました。
痙攣後、息が止まったので、
家族全員で、最後のお別れをしたほどです。
少ししたら、普通の呼吸に戻り、
「ドリフみたい。」と、
泣き笑いをしました。
今思い返すと、
アトムの人生の中で、
自分の足で動けなくなったのは、
この痙攣後の27時間だけでした。
それまでは、足腰はふらついていたものの、
いつものように、私の後ろをマークしていました。
翌日、病院へ予約の電話をしました。
曜日の感覚もなく、多分パニックだったのでしょう。
休診日だけど、すぐ診てくださるとのこと、急いで行きました。
車に乗った瞬間、また、痙攣が起きました。
痙攣がおさまるまで、携帯で動画を撮り、
それも、先生に見てもらいました。
脳に問題が起きていると思うと言われました。
痙攣をおさえる注射をしてもらい、
お薬を処方してもらいました。
注射が効いたようで、
あの大きな痙攣からはじめて
ぐっすり眠れていました。
その日の夜中、
日付けが変わってましたが、
小さな痙攣が数回起き、
最後の痙攣が終わったと同時に、
心臓の音が弱くなり、そのまま静かに、
本当に静かに、逝ってしまいました。
いつもの寝ている場所で、
いつもの、足をピーンと伸ばしたそのままで。
「ありがとう。愛しているよ。」と、
アトムに声に出して伝えたけど、
「いやだな。いやだな。」と、
小学生の子どものように、
心の中で、駄々をこねる私がいました。
たくさんのお花やモニュメント、メッセージカードを、
ありがとうございました。
モアナちゃんラニちゃんのお家から、
手描きのフードボールが届きました。
いつもの、にやけているような、
上目遣いのアトムがいます。
みなさんのメッセージを読むと、涙。
アトム兄と、ご飯食べに行き、アトムの話題になると涙。
夜中、目が覚めてボーとしてると涙。
もうずっと昔に、そんちゃんと、
「ペットロスにならないわけないよな!絶対!!」と、
話していたけれど、
それ以上に、想像以上に悲しくて、
気がつくと、ただ、涙だーだーの日々でした。
そんな時、また、モアナちゃんラニちゃんのお家から、
アトムの命日の書かれた、フォトフレームが届きました。
一緒に、「虹の橋」「雨降り地区」と書かれているカードが入っていました。
それを読んで、いっぱいいっぱい泣きました。
声を出して、泣きました。
そして、アトムにも、気持ちを宣言しました。
この日から、一歩、前に進めた感じがします。
今、こうやって、自分の気持ちを、
ブログに書こうとも思えました。
生前、アトムを可愛がってくださった皆様、
本当にありがとうございます。
そして、私達家族のことも、心配してくださり、
心より感謝しています。
今は、まだ、あれですけど、
もう少ししたら、笑いながら、
アトムの思い出話ができるようになるはずです。
アトムは、笑いの宝庫だったのですから。
その時は、泣き笑い、お付き合いください。





