旦那は義務感なのか
他に家を買う選択肢は持ってなかった。
わたしも、二世帯住宅なら大丈夫だろうと、考えが甘かった。
反省すべき点です。
一方ひろしは
旦那は別に家を買って、
金はある程度出すから
ひろし、よし子どちらかが死んだら行く、と。
でも、わたし、子供の頃、おばあちゃんと中学生くらいの頃から同居して、結構、しんどかった。
いや、もう、既に、認知症になっていたからしんどかったのかもしれないけど。
でも、なんか、子供ながらに、小学校高学年とかになると、あまり会わなくなって、たまに会っても、幼い頃のような関係ではないし。
その上、思春期に認知症が進行していく祖母と関わるのは辛かった。
思春期じゃなくても大変なのだけど。
大人だと思っていた祖母が
子供のようになっていく様は自分にとってはショッキングだった。
同じことを何度もデジャブのように繰り返す。
自分を父の子だという。
祖母が迷子になって、近所の人から電話があって、父も母も仕事なので
わたしと姉で迎えに行ったりした。
中期の、認知ができない自分と、正常な自分の狭間で葛藤している祖母が一番辛そうだったし、家族も辛かったと思う。
最後の方は誰のこともわからなくなってしまったのだけど。
もう、先が短いと言われたとき、施設に会いに行ったら
もう、誰もわからなかった筈なのに
「あとむちゃん?」
と一瞬、昔のおばあちゃんに戻った。
その数日後祖母は亡くなったのだけど
やっぱり、なんであのときあんなこといっちゃったんだろう、とか
ばかり思ってしまった。
話が逸れましたが、、、
そうゆう気持ちがあったので、子供のことや、自分のことを考えると後から来られても困るな、と思った。
後から来られれば、当然二世帯住宅ではないわけで、全て共用。
それは、無理だと思った。
同居したのは父方の祖母ですが
母方の祖母も半身が不自由で叔母と一緒に住んでいる。
だから、子供の誰かが親の面倒を見るものなんだろうという価値観はわたしの中にもあった。
旦那も後から来られるのは嫌だと、わたしと同じ意見で
ひろしに伝えると
「そうだよなぁ。後から来られても、子供が嫌がるよなぁ。」
と同じ感想だった。
長くなってしまったので続きます。

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