再縫合から一晩経って平常心を取り戻し、たった2針であんなにわーわー騒いだ自分を省みる気持ちが湧いてきた。
いや、嘘である。
雀の涙ほどにも湧いてこなかった。
実際には、再縫合と言われ処置室の準備ができる間に、家族から友達にまで“やられる感”満載の連絡をしまくった上に、帰宅してからは「また縫うなんて聞いてなかった」と心の痛みを訴え、「麻酔が効かなかった!!それなのに縫われた!まるで拷問だ!まるで江戸の罪人だ!!」と疑義を唱え、「後頭部に汗をかいたのに洗えない」「保護してるガーゼを止めるテープが髪に引っかかるくせに粘着力がないから剥がれてくる」と不快感をあらわにしながら、何も省みることなく、病院以上にわーわーとうるさく過ごした。
せめてブログ上では、分別のある大人を演じてみようかと血迷っただけである。
と言うことで、分別のない私は消毒のために通院。
【再縫合の翌日】
入院中に私を担当してくれていたチームAのメンバーのZ先生が診てくれた。
「“傷口はキレイなのにどうして浸出液がもれるんだろう”って〇〇先生(私の主治医)も言ってたけど、本当に問題なさそうだよ~」と言われる。それずっと私が思ってる疑問なのだけれど、主治医以外の先生が診てもそう感じるのであれば、私にできることはもやは何もない。
この日は、創部の消毒だけをしてもらい帰宅。
今日は洗髪OKとのことで、もみあげの辺りは念入りにくるくるとまわしながら洗うようにと言われた。
気温も上がってきて、帽子の中は蒸れるし、昨日は冷や汗で後頭部にびっしょりになり不快感Maxだったので助かった。
創部については、じくじくとした痛みを感じることはあるけれど、我慢できないようなものではない。もみあげのあたりの皮膚をぎゅっと寄せられて引っ張られているような感覚があるが、これは事実そうされているのだから仕方ない。
【再縫合から3日後】
主治医による創部のチェック。問題はなさそうなので、この日も消毒だけをして終了。
翌週は2回分予約を入れておき、状態によってどちらかで抜糸をすることになるようだ。
主治医も私も、ここで閉じてもらわないと面倒なことになると思っているので、「うん、いい感じ!」と言われると、私も「はい、いい感じ!」と合言葉のようにポジティブな言葉を繰り出しながら、お互いに“どうにかこの傷がくっつきますように”と祈っている。
痛みもほとんどなくなり、皮膚が張っている感覚はあるが、ぎゅっと寄せられている感じは少なくなってきた。
ところで、先日、主治医が「セッシ(ピンセット)持ってきて」と看護師さんに告げた時に確信したのだけれど、私は「セッシ」というワードが嫌いだ。
通院に切り替わるまでは、このワードについて何も思うことがなかったのだが、ここ数か月で、セッシ=鑷子=ピンセットということを認識してから苦手になった。
先月、セッシで敏感なもみあげのかさぶたを剝がされたというトラウマもあるのだが、それ以上に音の響きが嫌いなのである。
なんというか “セ” も “ッ” も “シ” も鋭利な雰囲気がありません?
誰に語り掛けているのか自分でもちょっとよくわからないのだが、“鑷子”だろうが“セッシ”だろうが、発声すると、鋭利な刃物の雰囲気と、小粒だけどキリリと尖ってますぜ、的な主張をその音から感じ取ってしまい、頭の中では、いかにもできる武士が切っ先をこちらに向けて構えている姿が浮かぶ。
「はぁ?何言ってるの?武士?セッシと拙者を混同してるだけなんじゃないの?」とか思われそうだし、その指摘も否めない部分はあるのだが、とにかく武士が刀を構えている姿を想像して震える。
これが、ピンセットだったら、“ピン” が柔らかさをだしてくれるし、セッシじゃなくて、“マッシ” や “ポッシ” なんかでも可愛げがあるからいい。サッカー選手のメッシだってプレーは鋭いのだろうが、名前は柔らかいし。
医療界がどうしても“セッシ”は譲れないということであれば、せめて“セッシー”にしてもらいたい。“ネッシー”や“ふなっしー”のような色を帯びるので、いくらか気分が和らぐ。
と言うことで、医療器具の名付けに影響力のある方、ご検討をお願いいたします。