この日も頭痛であまり眠れず、朝からデイルームをうろついていると「天気が良い朝は富士山が見えるんだよ」と同じく早起きのおじいさまが教えてくれ、得した気分になる。

 

朝は、起床して洗顔を終えてベッドに戻ると、イヤホンをしてお茶を飲みながらテレビを観るのが日課になっているのだが、情報番組はほとんど観ていない。観ようと思っても、ややこしいニュースなどに頭と心がついていかない。と言うことで、朝から「ラヴィット!」。これも真剣には観ていないのだが、芸人さんがドタバタと騒いでみんなでにぎやかに明るく過ごしているのを眺めているだけで、明るい気分になる。この番組が始まった当初は、朝からバラエティ番組を観るテンションにはならないと思って観ていなかったのだが、入院中の自分と相性がよかった。

頭がついていかない現象は他にもあって、友達とLINEでちょっとややこしい話をしていた時も、途中で「はい、充電が切れました。終了します。プーンという感じで脳が考えることを拒否する感覚に陥った。脳が疲労していると言えばいいのだろうか。ろくに使っていないのに脳が疲労するとはおかしな話なのだが、完全に機能が低下していることを体感した。

 

午前中の出来事

マグカップを廊下で洗っていると、チームA(治療に関わってくている先生方の総称)のうち、若手の先生の一人(以降、X先生)に「調子はどうですか?」と話しかけられた。朝の回診で、明日が抜鉤なのに「今日は抜鉤です!」と張り切って器具を並べ始めて、無駄に私を震え上がらせた先生だと気付き、あぁ、気にしてフォローに来てくれたのかしら、と合点がいき「大丈夫ですよ。順調だと思います。」と返事をすると

X先生:「順調ですか・・・。そうですか。痛みはどうですか?」

私:(痛いに決まってるだろう、と思いながらも大人なので)「痛みはありますね。」

X先生:(仏のような表情になり)「傷は必ず癒えますから痛みも必ず良くなりますよ。」

私:(でしょうね。と思いつつも大人なので)「ありがとうございます。」

X先生:「他に質問はありますか?」

私:(「他に」って・・・痛みについても自発的に質問したわけではないんだけど、大人なので)「そうですね。明日抜鉤したら明後日は退院ですよね。」

X先生:「そうですね。それは主治医の判断ですね。」

私:(そこは答えないのかよ、と心の中でツッコミながらも大人なので)「お気遣いありがとうございます。」

それに満足したようで、X先生は歩き去っていった。朝の抜鉤するぞ詐欺は確かに震え上がったけど、すぐに忘れたし全く気にしていなかったのだが、先生の方がよっぽど繊細で、やっちまった、と気にしていたんだと思う。そう思うと、頑張ってくださいねという気持ちになったが、「2月がきたら、必ず3月がきます」みたいな、あのぎこちない会話よ。

X先生、あなた不器用だな!!

 

13:00~リハビリ

助手さんに付き添われ、リハビリステーションに移動。「今日の療法士さんは誰ですか?」と聞かれたので「今日は初めての方で〇〇さんという方みたいです」と答えると、「あー、あー、あー、あぁ・・・頑張ってくださいね!」と励まされた。「いやいやいや、ちょっと待ってください。その意味深な “あー” は何ですか。」と聞くと、この界隈では(どの界隈かは不明だが)スパルタで有名な療法士さんらしい。「え。50mダッシュ×10本とか課してくるんですか?」と聞いたところ、「そういう感じではなく・・・スパルタといっても、悪気はなく熱いんですよ!患者さんに対する愛情がとても深いんです、だから大丈夫ですよ、きっと!」と、だいぶ無責任な発言。「今日初対面なのに、会う前から愛情注がれるって結構ホラーなんだけど、本当に大丈夫なの?」と助手の方を詰めながら不安な気持ちでリハビリステーションに到着すると、なんというか、オーラがハッスルした療法士さんが現れた。マスクをしてフェイスシールドをつけてるから、情報は目と声だけなのに、ギンギンである。「今日はウォーキングマシンを15分やりましょう!」と、思いのほか楽そうなメニューにホッとしてウォーキング開始。と、この方、すごい喋るのである。私の左斜め後ろに立っているのだが、喋るし話しかけてくる。無視するわけにもいかないので、体を左に捻って首を療法士さんのほうに向けてウォーキングしながら会話を続けないとならない。頭が不安定な私のことなどお構いなしに、自身の休日の過ごし方などについて語ってくれて、とにかく元気にギンギンしている。私は、術後初めての姿勢に四苦八苦しながら、この方の休日の過ごし方に1ミリも興味はないけれど、“袖振り合うも他生の縁”とも言うし、この話を聞きながら歩くことこそがリハビリなのかもしれない、と自分を納得させながらどうにか歩き切った。その後、とにかく太ももを鍛えておけば大丈夫だと空気椅子をさせられたことは覚えているが、何が大丈夫なのかも、その後のリハビリ内容もあまり記憶に残っていない。後で助手さんに「どうでした?」と聞かれたので、「コミュニケーションがギンギンでした。」と答えておいた。スパルタにも色々あるらしい。

 

15:00シャワー

病棟には大小2つのお風呂があって、小の方はボックスタイプのシャワールームとなっている。いつもは椅子もついていて座れる大の方を使用させてもらっていたのだが、この日は看護師さんに「コトムさん、小さいお風呂でもいけそうだから今日はそっちでお願いね」と言われて初めて立って入るタイプのシャワールームを使用した。と、カランを回すと、傷口が開くんじゃないかというくらいの水圧に襲われる。

慌ててカランを戻すと、全くお湯が出なくなる。・・・強敵出現だ・・・。上から浴びせられたから信じられないような水圧に感じたのかな、とフックから外し、シャワーヘッドを左手で持って、またカランを回すと、衝撃的な水圧の反動で手からシャワーが離れてしまい、シャワーヘッドが狭いボックス内をのたうち回りはじめた。コントロールを失ったシャワーヘッドが私の顔面や全裸の体を次々に攻撃してくる。ボックス内できゃあきゃあ言いながら再度カランを閉じ、シャワーヘッドを確保。次は油断せず、自慢の握力でシャワーヘッドを押さえつけながら水圧の調整。結局、最後までほどよい水圧に出会うことはなかった。本当にここの病院のお風呂とは相性が悪い気がする。看護師さんの「コトムさん、小さいお風呂でもいけそうだから」という言葉は「コトムさんなら頭蓋骨ぶ厚いから水圧強くてもいけそうだし、握力強いからシャワーヘッドを御することも可能そうだから」というゴリラ頼みの発言だったのかと疑心暗鬼になって最初で最後のシャワーボックスを終えた(翌日は“大”のお風呂を懇願した)。

 

18:20主治医登場

相変わらず忙しそうな主治医が夕ご飯を食べてる途中に様子を見に来た。痛いまま退院するのは前提として、気になることはあるかと聞かれたので色々確認。

●頭の中で鳴っているゴポゴポした音について→空気が入ったので仕方ない。そのうち治る。

●まっすぐ立とうとしても体が右後ろに引っ張られる感じ→脳をいじったので仕方ない。そのうち治る。

●頭が痺れてるんだけど、いつまで?→手術をしたので仕方ない。そのうち治る。

●顔の腫れは→そのうち治る。ついでに首やら体の内出血もそのうち治る。

●てんかんの薬はいつまで飲むのか→脳の戻り具合による。1年くらい飲む可能性もある。

●腫瘍の確定診断はいつになるか→退院後の外来の時。

と、顎が痛くて口がまだ開かないことを話すと、そろそろ無理しても大きく開ける練習をした方が良いと言われた。なるほどね、と思い、術前検査の歯科検診で口の開き具合を確認したところ3センチだったので、それを目指せばいいんだ、とつぶやいたところ、「3センチ!?・・・それはミニトマトのサイズですよ。もともとが3センチとはノーマルの口が小さ過ぎる。」と、にやにやを堪えながらも完全にツボに入った様子。私が「じゃあ、今は2センチくらいしか開いてないのかな」と言ったら、さらにツボったようで「だって、3センチってこの指2本くらいの幅ですよ」とウヒヒヒと笑いながら指をかざして見せ、最後には「3センチかぁ。がんばりましょう!」と適当なコメントを残して去っていった。色々な症状は「ソノウチナオル」を合言葉に過ごすとして、

ノーマルの口があるなら、アブノーマルの口もあるのでしょうか。と問いたい。