車椅子のおじさんの小説89 | 車椅子のおじさんのブログ

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そのメールのコピー

雑誌社の編集長さまへ

 初めまして。

 私は、瀬戸内海に浮かぶ東小牛島という少し大きい島にあるバンセン病の元患者の人たちが住んでいる施設で30年以上働いている富士川と申し上げます。

 ご存じでいる方がいると思いますが、この人たちはバンセン病のウィルスに感染して、顔や手足が醜くなったから、差別されて全国に作られた施設に強制的に入所されたのです。

 私が働き始めた80年代ごろまで入所者は施設の敷地の外への外出を禁止されていたのです。

 世間の目だけではなく、自分の家族からも差別を受けられて、長い間帰郷を拒否されていた方は少なくありません。

 そんな人たちもだんだん施設でお亡くなりなってきまして、95歳の吉谷〈よしや〉という方と女の方2人だけです。

 最近、吉谷さんは若い人に自分が体験した事を聞いてもらいたいと言っています。

 遠い未来にもこんな事がないように、記者の方に吉谷さんの証言を聞いてもらって、未来へと残るような記事を書いてもらいたいと思います。

 インターネットで、「雑誌社 人間」で検索して、出てきた7社のうちに、取り上げてもらいそうな5社にこのメールを送信しました。

 もしもこのメールを読んでくださって、記事を書いてくださる人がいましたら、返信してください。

 お願いします。

七五山さん この人には「うちには他の人とはちがう見方で物事を見て記事を書くライターがいまして、そのライターに記事を書くかどうかを聞いてみますから、しばらくお待ちください」というメールを送りましたけど、興味があって記事を書いてくださる気がありますか?

鉄三郎 富士川さんが言うような未来に残る記事を書ける地震がない。

 鉄三郎はそう言って、考え込んでしまった。

七五山さん そう難しく考えなくてもいいですよ。

鉄三郎 そう言ってくれても、自信がないなあ。

昌 いつもの鉄らしくないなあ。この事は興味がないのか?

鉄三郎 あるよ。

昌 そう難しく考えないで、いつもの鉄らしく、取材で自分が感じた事を書けばいいじゃん。

鉄三郎 昌のその言葉で吹っ切れたよ。書くよ。

昌 そうか。いつもの鉄になったなあ。

鉄三郎 それじゃ、富士川さんのメールアドレスを自宅のパソコンに送ってください。帰ったら、富士川さんにメールを送ってみます。

七五山さん はい、わかりました。私も富士川さんにメールを送っておきます。

鉄三郎 喉がカラカラだから、メロンソーダを飲ませてくれよ。

昌 はいよ。

 昌はそう言って、鉄三郎にメロンソーダを飲ませてあげながら、コーラを飲んだ。

 2人は、飲み物を飲んだら、帰った。

 家に着いたら、鉄三郎はパソコンの前に向かって、40分ぐらいで富士川さんへのメールを書いて、送った。

そのメールの内容

 初めてメールを差し上げます。

 私は、名古屋の雑誌の人間ドキュメントナゴヤに記事を載せてもらっている車椅子のライターの熊鉄三郎といいます。

 人間ドキュメントナゴヤの編集長に今回の話をいただいて、富士川さんか言うような未来に残るような記事は書けませんけど、吉谷さんの話を聞いて、私なりに感じた事を書きます。私に書かせていだきますか?

 その後、7時過ぎに昌が作ったばんごはんをゆっくりと食べて、8時前から録画してあった007の映画を見て、10時からガイアの夜明けを見て、昌の介助でお風呂に入る前にメールのソフトを開いてみたら、富士川さんからのメールが来ていた。


                       つづく