終の住処〜療養型の病院 | 基本、ビーズ織りnote

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【箱は笑いで満たされた。】
改題


9日に救急搬送で受け入れてくれた病院では、

お医者さんをはじめ、看護師さん、

ケアワーカーさんに恵まれました


搬送された日の説明では

「家には戻れない」

「介護施設も無理」ということでした

今後の相談に乗っていただき、

家族の希望通りの

家の近所の療養型の病院に

入れることになりました


搬送された病院では

嚥下訓練をしていただいてましたが、

療養型の病院は

それだと受け入れられないと言われ

急遽、入院の条件の高濃度栄養点滴を

始めました

療養型というのは

「手間がかからない」方の選択をすると

いうことなんですね


その療養型の病院にはずっと以前から

入りたい希望を言っていたのに、

そこまで悪くないから入れない

と断られていました


入れる条件のひとつに「人工肛門」が

あったし、

癌も再発を含め2〜3あったのに

なぜ入れないのかと思っていましたが、

病状の「そこまで悪くない」と

いうことではなかったんですね




介護タクシーで搬送し

無事転院ができました




介護タクシー、

6000円くらいかかりますと

聞いていたけれど、

実際に乗ったら10620円

寝たまま運ぶのかと思ったら

車椅子でした

身体障害者手帳を提示しても

1割引にはならず


普通のタクシーなら3000円くらいのところ

でも、帰りに車椅子を病院に戻さないといけないので、その往復もあって

そのくらいになっちゃうのかな


入院費が2万円を切ったから

余計に高いと思っちゃうんですね



転院先に着き

担当看護師さん

ケアワーカー

院長先生からお話を聞く

その場には姉2人も同席


いくつもの病歴を説明していたら

長姉が「いろいろなことがあって大変でした」

って笑いながら


ちょっと驚き

大変なほど

なにかしてもらったことあった?


ま、いいけど


それよりも、看護師さんとわたしが

手続きに関する話をしていたら

姉2人がお喋りを始めてしまい

やめないので、さすがに注意しました

お医者さんが同席してる時は

静かに聞いていたのに、、



書類にサインをして

説明を受けて手続きは終わり



ショックなのは

母がすっかりボケてしまったこと

救急搬送された日までは

身体は動かなかったけれど

頭はもう少しちゃんとしていたのに


ボケるのが、こんなに急とは、、


「家に帰る」「寒いからどこも行かない」

「きのう、ひ孫が来た」、、、


亡くなったひとたちのことを

生きてると思っていたり


言いたいことをずっと喋っていた


なかでも、いちばん驚いたのは

わたしのことを「亡くなった」と

病院のひとたちに話していたこと


えーー⁉︎


では、眼の前にいるわたしはだれだと

思っているのかな、、





療養型の病院、

「普通の病院とは違うので

患者さんの要望が多いと

転院の可能性もあります」


驚き


これまでもワガママだったけれど、

それに輪をかけて、訳のわからない

ワガママを言い続けていたので


うーん

ちょっと心配



そのときはそのとき

また相談してプロの方たちに

助けてもらいます



ここまで来るのにも

ほんとうにたくさんの方にお世話になりました


特にまえのケアマネ、

訪看さん、

わたしが1年前まで姉たちとは

没交渉だったので

おふたりとはよく話をして

助けていただきました



今まで通っていた施設、

介護レンタル、

助成金がでていたオムツなど

キャンセルの連絡をして

これからまたケアマネを決めたり、

少しずつ母の生活と

母の一階のおうちの片付けをしていきます


とりあえずは

終の住処に移ることができて

ひと安心です


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