わたしのことではないので
書くのはやめようと思ってたけれど、
94才の闘病というのも
滅多にないことだし、
続けるかは定かではないけれど、
記録をしておこうかなと。
母は、このところ体調がよくなかった。
食欲がない
めまいがする
ちょこちょこ、発熱する
また、
実際は温かいのに足が冷えると言っていて
病院で安定剤を出されたりしていた。
寝ていることが多くなったけれど、
令和初日の大腿骨骨折から
ベッドの生活になっていたので
寝ていることにそれほど心配は
していなかった。
毎日、いろんな症状がでていたようだが、
下血してるのは言わず、
ただ、痔になったと言っていたので
専門の病院に連れて行こうと思っていたら
言わなくなったので治ったのかと思っていた。
1ヶ月くらいまえに
主治医じゃない若い女医さんに言われたのは
身体のどこかが出血を起こしているのかも
しれないと。
それには、胃カメラと大腸検査を
しなくてはいけないと。
母は、もうそんな検査はやりたくないといって
そのまま不調を引きずっていた。
それでも具合がよくならないので
木曜日にまた病院にいき、
不調を訴えたらそこで
エコーをしましょうということになった。
そしてそれで
肛門の入り口に腫瘍が見つかり
翌日朝から大腸検査。
高齢につき、浣腸で済ませたので
大量の下剤を飲む苦労はなかったが、
検査が酷く痛かったと。
それでやっと
直腸癌が見つかった。
そんな簡単に腫瘍が見つかるなら
なんで胃カメラや大腸検査に
こだわっていたのか、
とっととエコーをしてくれてたら
よかったのに。
ちょっと病院に不信感。
わたしも油断していた。
まさかこの歳で癌になるなんて
思ってもみなかった。
下血してるのを知らなかったので
年齢からくる不調なのかと
簡単に思っていた。
それにしても
そのときの中国人のお医者さん、
エコーの写真見せながら、
「直腸癌ダヨー
イマハハッキリイウンダヨー」
って、なんのデリカシーもなく
大きな声で、それも笑って。
いくら、見つけてくれた医師でも
もうこの先生にかかるのはやめようと決心。
朝からの検査を終え、夕方に家に帰ったら
主治医の院長から電話。
話したいので
これからわたしひとりでも来られないかと。
徒歩1分の病院だし
母も聞きたいというので再び病院へ。
紹介された病院に
明日スグニ行ッテと言った中国人の医師。
院長がいうには、あしたは
あちらの病院の紹介した医師がいないから
月曜に行ったほうがいいと。
もうその時点で金曜日の教室を
休講にしてもらうようにカルチャーに
頼んでしまっていたのに。。
迷惑をかけることもなかったのに。
もー!
院長がわざわざ呼び戻して
わたしたちに言ったのは
見つけられなくて申し訳なかった、と
いうことと
すぐにどうということはないから
オリンピックは見ようということかな。
それで診察室を出たら会計に行くように言われ、
請求された。70円。
診療時間をとっくに終えてだれもいない
待合室で母と二人、
呼び出されてきたのにお金取るんかいっ!
と驚いた。
まさかお金を取られるとは
思ってなかったので
二人して手ぶらだったんだもの。。
ま、そんなことで
月曜日の9時半にタクシーで
ワンメーターの大きな病院に行った。
受付で1時間、
お医者さんの部屋にたどりつくまで
また1時間。
それから、血液、レントゲン、肺活量、
検尿、造影剤などの検査をして
会計を終えたのが4時半。
飲まず食わずだったので
おなかと背中がくっついちゃいそうになって
帰宅。
この病院は前にも何回か
来たことがあったけれど
こんなに混んでるのは初めて。
医師によって混んでる日とかあるのかな。
そこのお医者さんに言われたのは
先ず、本人の意思の確認。
やっぱり高齢者だと痛いことや手術は
したくないというひとが多いようで。
でも、母の場合は
手術しないと垂れ流しになるというので
しないという選択はなかった。
手術といっても
完治を目標にするわけではないと
思っていたら
完治も夢じゃないですよ、
悪いところを取っちゃうわけだから、って。
話を丁寧にしてくれてとてもいい先生だけど、
転移とかわからないのに
そんなに励ましてくれちゃって
真に受けたら困らないのかな。
というわけで、
次はまたあさって大腸検査。
木曜日にした検査の結果は
2週間先だから
また大病院でも検査するって。
なんかもっとうまいこと出来ないのかしら。
体力なくなっちゃいそう。
というのがこの1週間のこと。
母はなんといっても来月には
95歳だし
本人も年に不足はないと。
だけど、
死ぬまでは生活しやすい状態でいたいものね。
病院にいるときに京アニのニュースが
流れていた。
朝元気で見送ったこどもが
その日に亡くなってしまうなんて。
それも、火をつけられて。
残酷で悲しすぎる。
本人はもちろん
ご家族の方も、想像も出来ないくらいの
辛さだと思う。
その方たちのことを思うと
94才で闘病なんて
呑気な話に思えるし、
闘病する時間を与えられたことは
ラッキーだとすら思える。
わたしにも、反省する時間を
与えられたわけだから。
とても長くなってしまったけれど、
あともうひとつ。
母がいちばん仲良くしている友人が
去年、同じ大病院で
ペースメーカーを入れる手術をした。
その年、なんと96才。
入院するたびに元気に復活してくるので
不死身なんじゃないかと思ってる。
母は負けず嫌いだから
母もまた元気で復活してくると思う。
だから、わたしは逆縁を見せないように
気をつけるのがいちばんなのかな。
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