※思い切ってネタばれしてます。
1966年に放送された『忍者ハットリくん』のモノクロ実写版は
子供心にひどく不気味だった。
その不気味さを記憶しているから
ハットリくんのお面をつけている子に
「ケンヂくん、あそぼー」と言わせるぞわぞわ感が効いてくる。
昭和の原風景や言葉や遊びも登場人物と私の年齢が近いからその辺りも共通性があった。
すでに読んでいた二人が「<ともだち>って誰だかわかった?」とひそひそ話していたので
印象の薄い登場人物も意識して読んでいた。つもり。
途中までは自分の推理に満足行く<ともだち>の正体だったのに、
最後の何ページかでわかった新たな<ともだち>の名前に、
隣で熟睡していた娘を起こして「○○くんて誰?」と訊いてしまった深夜3時。
8年に渡って連載されたものを読んでいた読者には
理解力と記憶力と忍耐力が必要。
私は三日間で読んだくせに疑問に思うことも、
いいところで話が二十年くらい飛んだりするので疑問自体を忘れてしまう。
生まれ変わりがあったり、
バーチャルの子供時代と交差したり、
話を追うだけでいっぱいいっぱいで<ともだち>の正体を推理するのは諦めた。
正体がわかってもそれが誰だかわからなかったのだから、
もっと早く諦めればよかった。。
話とは直接関係のないサイドストーリーは面白かったけど、
小学校の時にナショナルキッドのお面をつけている少年が
短い期間でも二人もいたってことはかなり記憶に残るんじゃないの?
という基本的な疑問を始め、
長すぎるわりにわからないところ(長すぎるから余計にわからなくなる?)が多い。
『しんよげんの書』だの二人目の<ともだち>だのは
いらなかったんじゃないかと思う。
身も蓋もないことを言ってしまえば、
二人目の<ともだち>が出来るきっかけがあまりにもちいさすぎる。
なんでも小さな一歩から始まるのはわかるけど、それにしたって…。ねぇ…。
娘は映画も第一章、第二章と見に行っていて
とても熱心でちゃんと理解もしているようで私の疑問にもすぐに答えてくれる。
この力が違うところで発揮出来れば…という考えはしまっておいて、
娘が言うには<ともだち>は双子という説もあるとのこと。
そんなのただのヨタ話かと思いきや、その理由も話してくれた。
私は半分くらいしかわからなかったけど、わかったふりして聞いていた。
驚くことに、映画では<ともだち>が違う人らしい。
漫画を読んでわからないから映画を観ようと思うのは
余計にややこしくさせるだけのこと。
気をつけましょう。私。はい。