わらしべ長者の京都神社仏閣巡り -3ページ目

わらしべ長者の京都神社仏閣巡り

ちょいワルおやじの徒然なる日記…

最近のマイブーム「御朱印集め」に京都を中心にあちこち走り回る(で、あろう)日記(になる予定)

果たしてこの先どんな物語があるのやら…

今回、思いつきで富山方面へ向かう…

梅雨の中休み的な晴れた天気に車を走らせると、途中に道の駅を発見!
 
どうやら道の駅「倶利伽羅源平の郷(くりからげんぺいのさと)」という名前と分かる。

そうか… 倶利伽羅峠か…

ここは石川県と富山県の県境。
昔、平安時代末期に源平倶利伽羅合戦があった場所だ。

源平倶利伽羅合戦 : 寿永2年(1183)5月11日,
平維盛の軍と木曽義仲の軍が倶利伽羅の地で戦ったと伝えられている。この戦いで義仲が四・五百頭の牛の角に松明を括り付け平家の陣へ追い入れた「火牛の計」が有名。

と、言うことで出ました!火牛の計モニュメント!
 
 
火牛の計をそのままイメージした普通の牛とほぼ等身大くらいのモニュメントがありました。

これは古戦場跡地を巡ってみたい!という興味がムクムクと湧いてきて、今回のテーマが決定!

倶利伽羅峠縦断と古戦場巡りって感じ…

最初に向かったのはJR北陸本線にある倶利伽羅駅(くりからえき)
 
難読駅名にもなっている無人駅… 横には最近ではレアな郵便ポストがありました。


 
貨物列車が勢いよく通過して行きました。


 
駅前の駐車場にも火牛キャラの看板が…


駅の横には大きな観光案内図があります。
旧北陸道の峠道を「歴史国道」という名前で散策道?(登山道?)としているようです。



旧北陸道の山頂付近には倶利伽羅不動寺があります。





本来の旧北陸道(北国街道)は山道の歩道を歩くのですが、今回のわらしべ長者は「鉄の馬」(車)での移動なので、あまり実感が湧きません。
 


でも、この看板を見たら…
 
鉄の馬での移動の方が良さそうな気がしました(笑)


鉄の馬は急な坂道も何のその(笑)
山頂付近まで来ると眼下に国道8号線が見えました。
国道8号線のもう少し奥側の山中に北陸新幹線のトンネルが通っています。

国道8号線は長いトンネルでこの峠を通り過ぎますが、昔の人は、このように山道を登って峠を越えていたのでしょう。
江戸時代、大名の参勤交代もこの道を通ったらしい…
加賀藩前田家の参勤交代、多いときには約4,000人もの人が行列を為して歩いていたとは、さぞかし大変だったのではないでしょうか…

 
山頂近くの倶利伽羅古戦場に到着…
 
 


ここにも火牛のモニュメントが…
 


以外とイイ顔立ちの牛…
 
そのほかにも、

源平合戦の慰霊碑があったり…
 


当時の倶利伽羅合戦の戦場についての掲示板があったり…
 
 


源平供養塔もありました…
 
 
 


為盛塚
 
平為盛(たいら の ためもり) : 平安時代末期の武将で、平頼盛の次男。1175年12月に紀伊守、1181年7月に加賀守に任ぜられる。兄平保盛と共に1181年9月には熊野討伐に出陣し、1182年には諸国追討計画で南海道方面大将に任ぜられた。『源平盛哀記』には、1183年5月12日、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲の部将樋口兼光に首をはねられ討死したと記されている。

 
この塚は鎌倉時代に建てられたものだそうです。


今回、ふらっと素通りするくらいの気持ちで立ち寄った場所でしたが、意外と歴史の重みを感じられる場所にちょっとびっくりしました。

倶利伽羅峠は、今では電車も車もトンネルで素通りするだけの場所ですが、昔は交通の要衝だったそうです。
最近では、近くに北陸新幹線のトンネルも開通しており、ちょっと影が薄くなりつつある場所かも知れませんが、歴史を感じられるちょっとしたスポットに変わりはないと感じました。


この後、倶利伽羅不動寺へ向かいます、続きは次回に…

前々回の京都御所に引き続き、今回も皇室ゆかりの地を参観!

修学院離宮に来ました。

正面入口、これといった表示も無くパッと見ただけでは分からない感じでした…
 
修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう) : 京都市の北部、比叡山の麓、修学院にある皇室県連施設。1653年~1659年に後水尾上皇が造営した離宮。
上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋と呼ばれる3つの庭園があり、面積は54万平方メートル。

受付で参観許可証と身分証明書を提示(京都御所と同じ)して敷地内の待合所で待ちます。
宮内庁の職員さんと思われる男性ガイドさんと共に参観開始!
 
今回は30代半ばの男性がガイド役でした…


細い砂利敷きの路をガイドさんを先頭に歩く、歩く…
 

 


下御茶屋にある寿月観、後水尾天皇の御座所だった建物。






 
この砂利道はその昔、馬車道だったそうで、道幅がちょうど馬車の車幅と同じ位なのだとか、上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋それぞれがこの松並木路で繋がっていました。
今では路肩の松の木が大きくなって、とても通れない感じ(笑)

 


この松並木路の両側には田畑が広がっているのですが、これも離宮の一部なのだそうで、田園風景も風景の一部として取り入れられているとの事。
この田園風景を守る為に1964年に田畑を宮内庁が買い上げて、地元農家と契約して耕作させているそうです。
確かに、農作業している人もいましたし、この松並木の道を横切る道路があって、農作業用の軽トラックが横切って走って行きました。
道路の横には「関係者以外立入禁止 宮内庁」の看板が建っていました。

田畑まで宮内庁の敷地とは… 徹底して風景を守っている修学院離宮に驚きました。


 
中御茶屋の客殿 仏間には棚があり、霞棚(かすみたな)と呼ばれ、桂離の桂棚、
醍醐寺三宝院の醍醐棚と並び天下三名棚と呼ばれている。



また、客殿の杉戸には鯉が描かれています。
伝承によると、この鯉たちが夜な夜な絵から抜け出して庭の池で泳ぐため、魚網を描き加えたそうです。
 



反対側の杉戸には、祇園祭の山鉾が描かれていました。
 




再び松並木の路を戻りながら上御茶屋へ向かいます。
ここまで来るのに結構歩いたなーと感じ始める。
なるほど、事前の参観申込の注意書きに「急な斜面の登り下りを含め約3Kmほどの苑路を歩きます」とあった意味が分かってきました。

上御茶屋の御成門
 
この門から中に入って階段を登ると修学院離宮で一番標高の高い隣雲亭に到着。
ガイドさんも参観者もここで縁側に座って一休み。
ここは標高150メートルあるそうで、眼下には浴龍池と京都市内が一望できました。

隣雲亭から見る浴龍池
 
浴龍池は工事中で水が抜かれていました。
水があればもっと綺麗に見えたでしょうか…


京都市内方向
 



隣雲亭から浴龍池に向かう歩道


今回の参観者は約20名程だったでしょうか。
当初思っていた以上に歩いたなーという印象がありました。
坂道や階段も多く、参観される方は、歩きやすい靴で参加しないと大変だと思います。

そう言えば、今回も参観者の最後尾には、いかつい男性が1人付いて歩いていました…
(詳細を知りたい方は 京都御所の巻 を参照してくださいね)

狙ったつもりはありませんが、前回の京都御所、二条城に引き続き今回も参観料は無料でした…

京都御所、修学院離宮は週末の参観はすぐに予約がいっぱいになるので、早目の予約をお薦めします。



今年の3月某日、京都散策にて二条城に向かう…

今回宿泊しているホテルから二条城の全景が一望できました!
 


二条城は東西約500メートル、南北約400メートルに塁を築き堀をめぐらす広大な敷地
 

二条城(にじょうじょう) : 1603年徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営、3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして増築を行い1626年に現在の規模となる。本丸御殿は1788年の天明の大火で焼失。現在の建物は京都御苑内にあった旧桂宮御殿を移築したものだそう。
1867年15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年離宮となる。
その後、1939年に京都市に下賜され、1994年12月には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。
現存する二の丸御殿は武家風書院造の国宝で、部屋の障壁画は狩野一派の作。二の丸庭園(特別名勝)は小堀遠州の作といわれている。


正面入口の東大手門、ここから敷地内に入ります。
 


本当は入城料600円(大人)が必要なのですが、コレを提示したら無料でした!
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昨年12月に受験した京都検定。合格証を提示すると3月末までの期間限定で二条城の入城料無料との事!

本当に無料になるのか? 恐る恐る入城口で合格証を提示すると、係員さんが笑顔で「はい、どうぞ~」

「!」  本当に無料でした!ちょっと得した気分~


東大手門から中に入ると、最初に登場するのが唐門
 
最近まで改修されていたのか、全てがピカピカでした…







唐門を抜けてさらに進むと、二の丸御殿が目の前にドーンと現れる。
 
建物の大きさに圧倒されながら建物の中へ…

この建物、確か国宝だったな…などと考えながら大きな板張りの廊下を進む

途中、勅使の間、大政奉還が発表された大広間、黒書院、白書院と見応えのある部屋と数多くの襖絵を見て廻る
建物内はもちろん撮影禁止!


二の丸庭園は小堀遠州によって造られたと伝えられている池泉回遊式庭園の名園
 






広大な敷地にダイナミックに広がる庭園は、見応え十分!特別名勝にも指定されているのも納得!
 
 



 

二の丸庭園で有名なソテツの木。3月とあって、まだコモが架かっていました。
  
この大きなソテツの木、庭園の中央にドン!と鎮座?しておりコモを被っているので何とも目立つ存在でした…


拝観ルートを進んで行くと、内堀が現れた。ここから本丸御殿へ向かいます。
 


天守閣跡もありました…

 
急な石段を登ってみましたが、周囲はビルが林立しており眺望…とまではいきませんでした。
造営された当時(江戸時代)ならば、周囲を一望できたのでしょうね(笑)


 
 
拝観を終えて門を出る頃には、もう東大手門は閉じられていました。


すると、目の前に宿泊したホテルが…京都国際ホテル

何でも今年の12月26日で営業を終了して閉館するそうです。
建物や設備の古さは否めませんが、客室は清潔で広く居心地が良かった…
初めて宿泊しましたが、二条城の全景を一望できるホテルが閉館するのはちょっと惜しまれますね…


約20年振りに訪れた二条城。京都市内に勤務していた頃、前の堀川通は幾度も素通りしていました。
今回、参拝して改めて二条城の荘厳さを感じさせられました。

京都には、まだまだ見ていない、見過ごしている「素晴らしいモノ、コト」がいっぱいあるのでしょうね…