定量と定性 | 微塵のごとく

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大震災からブログをお休みしていました。あれから、8ヶ月。ブログを再開しようかなと思いますが、さぁて?!

私たちの教団が毎月発行している『大乗』の


ある随筆の中に、定量と定性についてのお話が


載せてありました。


定量とは、数値とか量的な側面から物事を捉え、


定性(ていせい)は、質的側面を捉えるということです。


そのモノの価値とか意義は、形や大きさよりも、


その性質や中身の方で評価するという、


一般的には、その中身が問題になるのですが。


どうも、私たちは、「有無」「多少」「大小」「貧富」など、


結構、定量的な価値観にとらわれているような気がします。


また、少し場面は違いますが、


内閣支持率とか、視聴率とか、それだけで、


いい内閣とか、いい番組ということにはならないようです。



親鸞は、先人の竜樹の言葉から、「有無をはなれよ」といいます。


「有」に執着すると、「●●しても大丈夫?」、「●●していないが、


大丈夫?」「こうしてないと、不安で」ということになるのです。


そんな執着が、迷信や俗信を生むのです。


逆に「無」に執着すると、目に見えない世界は、絶対に


意味を持たない存在になります。


「死んだらお終い」


でも、身近な人は、そうはいきません。



ある住職さんが、葬儀を終えて、火葬場まで


行かれました。そこで、別のお葬式の一団と、


行き合わせになられました。


棺が霊柩車から降ろされようとしたとき、


突然女の子の声が耳に飛び込んできたのです。



「おじいちゃん、これからどうなるの?」


・・・・・・・・・・・・・全身が耳になりました。

さあ、このお母さんは、どう答えるのだろう。


「おじいちゃんは、灰になるの」



“こんなに長生きするんじゃなかった”


そんな人生では、寂びしすぎます。



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